syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 172 あまり淋しく文の徒書(むだがき)<前句>

  元禄 前句付け「4」 (前句)あまり淋しく文の徒書(むだがき)


    まだ若き法師に角(すみ)の跡有り あまり淋しく文の徒書


 参考 角(すみ)=角前髪(済前髪)の略。今で言うなら、荒れた時代の中学生がしていた(剃り込み)のヘアースタイル。額の両角をそり上げるか、抜いて角ばらせた髪型。
 文=一般には恋文のこと。 徒書き=出すあても無い恋文を書きまくる。


 若い衆が頭を丸めて寺へ逃げ込むというのはそれ相当の何かをやらかしたに違いない。江戸時代の逃げ所は、「寺」か「やくざ」の世界であろう。


 寺とヤクザの世界が生きていく手を差し伸べていた。特にヤクザの世界は働き場のない男の救済としての役割を果たしていたようである。


 現代の暴力団とは少しばかり違っていたと考えられる。


 見るとまだ額に角前髪の跡が残っているのが分る。ほんの以前までは。女性にモテモテの色男、イケメンで何不自由なく青春を楽しんでいたのであろう。
 それが今では僧となり頭も丸めて、恋文の無駄書きをやっている。


 当時、文章が書ける身分の暮らしができると言えば、商家の若旦那か。富豪の農村の次三男か、武家の若者か。


 女性も恋文をもらって、返事のかける力のある人である。
 遊女か、商家の娘か、年季奉公に来ていた娘か、囲われ女か。


 頭を丸めて寺に逃げ込まなければならないような男女関係を起こすような事件とは何であったのだろう。


 あまり詮索すると難しくなるので、ここでは好き合っていた男女の仲の男が故あって頭を丸め僧となって淋しさのあまりに恋文を書きまくっている。としておこう。


 江戸封建時代は男と女の関係も当人同士ではどうにもならないように掟で縛られていた。
それがずっと現代まで続いて、今でもその残骸を背負って生きている。


 憲法で恋愛の自由や結婚の自由が認められてもいろんな壁があって当事者同士の思うようには事が運ばない。江戸時代を包含した現代である。


        

            植えた記憶のない庭の鹿の子百合

×

非ログインユーザーとして返信する