syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 194 ちちくりまわす

 大分県では、昭和30年代、学校を出ての最初の赴任地はへき地の学校と決まっていた。


私は県南の学校へ友は県西部の学校へとそれぞれ赴任した。佐伯駅からバスにゆられて数時間峠をいくつか上り下りしてへき地指定の小学校へたどり着いた。


学校に出向く前に腹ごしらえに食堂に入った。昼間から4・5人の日焼けした頑丈な体格の男性が酒を飲みながら食事をしていた。
元気のいい男たちの会話のほとんどが聞き取れなかった。が、一言だけ耳に残った。


「・・・ちちくりまわせ・・・」


ちちまわすというのは殴りつけるということで知っていたが、「ちちくりまわす」というのは初めて聞く言葉であった。
後でわかったことであるが、「ちちまわす」を強めて言うときにこの地方では「ちちくりまわす」というそうである。


若い女性が初めてこの地方に来て「ちちくりまわす」という方言を耳にしたらさぞかしびっくりすることであろう。


最初の学校の最初の学年が小学校4年生であった。
夏休み前7月の終り頃であったろう。学級の中でも真面目な温厚な男の子が血相を変えて職員室にやってきた。


「先生、淳ちゃんが、えだ折った。」
「えだの1本2本折ってもしんぱいするな。」
横の席の地元の先輩が「ここでは腕のことをえだちゅうのよ。」
「ええっ。そりゃ大変だ。」といって病院へ。その結果、枝は折れていなくて強い打撲と肩の脱臼が少しで難を逃れた。


それから3年後。6年生の分数の指導の時だったか。とても活発な明かるいクラスが一瞬にして黙ってしまったことがあった。授業が終わって分数指導の様子を地元の先輩に話した。


「とても活発に発言していた子供たちが、分数の指導で饅頭が10個ある3人で等しく分けると一人の饅頭の取り分はどうなるか。」と問題を提示したとたんクラスの全員が黙ってしまって授業がストップしてしまったのですが。」


すると地元の先輩が「この地方では女性の陰部のことを饅頭というんだ。」と教えてくれた。
それで発言が急になくなってしまったのだと理解した。


「じゃあ、饅頭のことは何というんですか。」
「パンという。」
「店でパン下さい。と言ったら店の人は困るでしょう。」
「困ることはない。買いに来る時間帯と買いに来る人で店の人はパンと饅頭を区別している。」
「すべてがお得意さんですね。なるほどなるほど。」


県南地方の方言で分からなかった「ちちくりまわす」「えだおった」「まんじゅう」の三つが記憶に残っている。


        同じ県内の言葉でこれほど分からないとはびっくり


      

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