卒寿小論 2 人殺す我かも知らず <俳句 2>
高校生時代は、夏休みになると毎日朝から市の中央公民館の地下1階に設置されていた市立図書館に通ったものである。
家が狭くて居り場がないので図書館を利用していただけのことである。
図書館では受験勉強をした記憶はない。図書館にある面白そうな本を手当たり次第に読んでいった。この体験が読書習慣になって生涯の財産になった。
あれから70年で2階の床が沈み懸ったので約半数の書籍を処分した。
系統性はないけれども相変わらず手当たり次第好き勝手に良く読んだものだと感心してしまう。
何のことはない習慣のなせる業である。どの本にも赤い線が引かれ書き込みがある。いざ処分しようとするとなかなか捨てるに忍びない。娘はお構いなしに半分近くの本をひもで縛り持ち運びしやすいようにまとめてしまった。
廃棄する本の中に俳句の月刊誌があった。その中の一句
人殺す我かも知らず飛ぶ螢 前田普羅
家の前、10メートル先に流れていた小川が潰されて道路の一部になって50年は過ぎただろう。小ぶりの竹や夏草が茂り蛍の飛び交うのをゆったりと眺めたものだ。
あの小川は道の下をどのような姿で流れているのであろうか。
この句の解説をNHK俳句講座より引用してみよう。
『人間というものは、どういうことで、どんなことをするかわからない、「人」を「殺す」というような悪いことでも、いつ、どのようなことで「我」がしないとはいいきれない。
「蛍火」が「飛ぶ」深い闇を見据えているうちに、いつしか自分のこころのくらやみをのぞいていたのです、・・・
もし人がパンに飢えたとき、倫理や個性が、「盗」その心を律しきれるだろうか、疑っているのです。』
誰もが持っている心の闇をこのように指摘されると「なるほど」と実感してしまう。
ただ、自分が今、殺したり盗んだりしなければならない立場にいないだけのことで「彼の立場に立てば」きっと私もそうしたであろうと思ってしまう。恐いことである。
そういえば、「彼の立場に立てばきっと私もそうしたであろ。」という言葉を思い出した。
高校3年生の夏休みの少しひんやりとした地下1階の図書館の中で誰の本なのか誰の言葉なのか忘れてしまったが、手にした本の中の言葉であった。「彼の立場に立てば」という言葉を確りと覚えていた。
この言葉はあれいらい70年間常に思い噛みしめていた言葉である。
つゆ草 季節の花300より
花言葉 なつかしい関係
夏(花期は6月~10月)、朝露に濡れて美しい
青い花を咲かせるツユクサ。
参 考
前田普羅は1888年(明治21年)~1954年(昭和29年)横浜に生まれ、本名は忠吉という。早稲田大学英文科中退。江戸文芸に興味を持ち三味線を弾くなど趣味の人であった。
大学中退後、横浜裁判所勤務して、時事新報社・報知新聞社の記者となり横浜に住む・
高濱虚子に認められて、俳句の世界へ。大正10年俳誌「加比丹」を創刊。さらに「辛夷」雑詠選者となり、昭和4年頃から主宰者となる。
関東震災で家財一切を焼失。翌年、報知新聞富山支局長として憧れの地富山に赴任。同地に長く住む。
昭和18年に妻を失いその3年後に戦災で家を失う。昭和26年に東京大田区に新居を構える。が、体調を崩し翌年2月には持病の腎臓病に高血圧を併発しよく夏に没する、享年70歳。
山を愛し、旅を愛し晩年は漂泊不遇のうちに生涯を終えた。
絶 句 帰りなん故郷を指す鳥総松(とぶさまつ) 前田普羅
鳥総松=新年の門松を取り払ったあとの穴にその松の一枝を指して置くもの。