卒寿小論 25 兄ちゃんがんばって <江戸川柳>
江戸川柳 好きなんだよな なしか
日日草 季節の花 https:www.hana300.com/
花言葉は「生涯の友情、優しい追憶、楽しい思い出」
1 二むらい
いい妹もって二むらい様になり
<落語,妾馬> 妹が器量よしだったおかげで、大名赤井御門守の目に留まり、妹のおつるが側室に上がって、更に世継ぎの生母となる。兄の八五郎が屋敷へ招かれてお上の御意にかない士分に取り立てられ岩田杢左衛門蟹成となる。
江戸も終わりに近づくと、「色と金」で士分が自由になったようである。
長屋の八五郎、サムライに取り立てられても心得も教養もとてもとてもサムライには程遠い。そういう俄侍のことを江戸の庶民は侮って二むらいといった。
しかし、当の八五郎は大得意で長屋じゅうをかき乱すことになる。
兄にて候者へ大小をねだり
ある夜のむつごとに親へ五人扶持
孝行娘が多かったようである。
2 二 階
二かいから落ちた最期のにぎやかさ ガラガラどしん
二階から落ちて最期を迎えるのは大変な騒動の中で息を引き取ることになる。静かに湿っぽく息を引き取るのとは大違い。大変だよね。
二階から小便せぬでかどがあり ごもっとも
吉原の遊女の部屋は二階にあるのでトイレも当然二階にあった。
したがって二階で小便をして初めて一人前になると。角も取れて一人前の社会人となる。
江戸の男社会の身勝手な常識になっていたようである。
二階から招くとは嘘しがみつき 生活がかかってるんだよね
「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振袖で」と歌われた吉田(現在の豊橋)は、東海道では御油(ごゆ)、赤坂とならび出女の多いところで、二階から招くどころか直接行動でしがみついて引きずり込む。
出女=江戸時代各地の旅籠(はたご)に居た売春婦。おじゃれ。
おじゃれ=おじゃるの命令形。呼び込みの語、江戸時代旅人宿の下女で客引きをした。売
色などもした。
御油=愛知県豊川市にある東海道の宿駅。
赤坂=愛知県宝飯(ほい)郡音羽町、東海道五十三次の一つ
江戸封建社会の一部の女性の生き方には基本的人権などはなかった。一部の女性だけではない大多数の人も基本的人権などはなかった。
幕藩体制に背くものは容赦なく抹殺されていった。
キリシタンの処刑や農民の訴訟における越訴なども処刑の対象になっていた。農民一揆でどれだけの日本人が殺されたのだろうか。
江戸封建社会の事実を確りと学習しなければ民主主義社会の問題もとらえることはできない。
3 二十七(にじゅうしち)
功成り名とげて身退く二十七 よくがんばったね。これからが大変だよ。
参考=老子「功成リ名遂ゲ身退クハ天ノ道ナリ」 二十七歳は遊女の年季の明ける歳。
親の苦境を救う目的を立派に果たして勇退していく、若い時は玉の輿に乗るチャンスもあるがそんなことはめったにない。二十七歳の意味を知らないと分からない川柳が多い。
仕合さ年を四五年置て行き 22・3で身請けされたのね。
二十八歳無沙汰の墓へわびて泣き 年季が明けたときには父母はいない。帰って
きましたお母さん、お父さん。