卒寿小論 255 ミニ 女の一生
家の前を東西に伸びる道路がある。道路に面して小学校の塀が運動場と体育館そしてプールを囲っている。その中央に小学校の南門、通常裏門と呼んでいる出入り口がある。
この裏門を利用している子どもたちは全校児童の1割程度であろうか。それでもいろいろなドラマに出会うことが多い。
今日も下校途中の一年生の女の子が3人話しながら通り過ぎていく。
1年生も2学期の運動会が過ぎると急に学校に溶け込んでそれなりの個性を発揮してくる。
話の内容は聞こえなかったが楽しい明るい仲良しさんに映った。
しばらく経って、用事で車に乗って駐車場から西に向かって発進した。
前を見ると先ほど家の前を話しながら通った3人さんが、直ぐ上の角の分かれ道に立って話し合っていた。
20メートルほどの距離を30分以上かけて進むと家に帰り着くまで何分かかるかわかったものではない。私は注意深く立ち話をしている3人の1年生の角を左折した。
左折すると直ぐに道は行き止まりになり右折して大通りに出ることになる。私は用心深くスピードを落として右折した。
右折して自分の目を疑った。先ほどの角で話し合っていた1年生の仲良しさんが、急におばちゃんになって立ち話をしているではないか。
その立ち方といい、しゃべり振りといい、表情までがあの3人の仲良しさんと右折して今、目の前にいる3人の知り合いのおばちゃんたちと全く同じではないか。
知り合いのおばちゃんたちに挨拶をしてその場を通り過ぎた。
バックミラーの中におばちゃんと3人の仲良しさんたちがごっちゃになって映って見えた。
左折して、右折するわずか数十秒の間に私は女の一生を見たような気がした。
このコミュニケーション力を生まれながらに持っている女性を敵にしたら、男性諸君はひとたまりもなく潰されていくだろうと実感しながらその場を通り過ぎた。
素晴らしいことである。女性の存在が社会を穏やかに、そして、力強く継続させていく力になっているようだ。
別府温泉 いいゆですよ