卒寿小論 4 山路来て何やら <俳句 4>
地方の中学校まで荒れ狂った時代。4月の初めての挨拶で「レイモンド・チャンドラー」の「たくましくなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」の言葉を引用してあいさつをした。
始業式が終わって、生徒の一群が校長室に押し寄せて来た。
「校長先生。あの話の続きをもっと聞かして。」と真剣な顔つきで話しかけてくる。
それがら、幸福についての話でしばらく盛り上がった。
荒れている中学校でも、いや荒れている中学校だからこそ生徒たちも親たちも何かを求めているのだということを実感し、学校経営の一つの方向がはっきりとして来た。
今年は、「幸福論」を中心に据えて経営を展開してみよう。
そんな事を考えながら芭蕉の俳句を思い浮かべた。
山路来て何やらゆかしすみれ草 芭 蕉
芭蕉の俳句の中に「逞しさと優しさ」を感じ取ることができる。
す み れ
季節の花300より
花言葉 「謙虚」「小さな幸せ」
春(花期は3月~5月)、紫色のかわいらしい花を咲かせる
紫は「貞節」「愛」。白は「あどけない恋」「無邪気な恋」「純潔」。
黄色は「田園の幸福」「つつましい喜び」。
青いスミレの英語の花言葉は「watchfulness(用心深さ)」「love(愛情)」
参 考
松尾 芭蕉(まつお ばしょう、寛永21年(正保元年)(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日)51歳没。江戸時代前期の俳諧師。伊賀国阿拝郡(現在の三重県伊賀
市)出身。51歳の句
むめがゝにのつと日の出る山路かな
(夜の明けぬうちに山路を歩く。どこからか梅の香が、早春の夜明け、身も心も引き締ま
る。朝日が雲を押し分けてのっと出た。)
家はみな杖にしら髪(が)の墓参(はかまゐり)
(郷里の盆に帰って墓参りをした。一族親族そろって墓参り。みんな歳を取って白髪にな
り杖をついているよ。)
秋深き隣は何をする人ぞ
(隣り合って住んでいてもみんな一人一人だ。名も知らず、顔も見ず、めいめいに己がい
のちきをしていくだけだ。そんなものだ。)
此道や行人なしに秋の暮
(一筋のこの道。秋の日が暮れようとしている。道行く人は誰もいない。)
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
(旅の途中で倒れた。覚悟の旅である。夢の中で、枯野を駆け巡っている。)
10月8日、支考(蕉門十哲の一人)に病中吟「旅に病んで」を示す。
10月10日に遺書をしたためる。
10月12日、申の刻(午後4時ごろ)死去。
10月13日、去来、其角をはじめ門人十人で遺骸を膳所の義仲寺に運ぶ。
10月14日、遺言により義仲寺境内に埋葬する。
平均寿命を超えたら、病気になっても延命治療はしないで静かに人生を閉じたい。そのことは家族にはっきりと伝えておきたい。
人生100年時代なんて大変だよ。今、85歳。あと15年は大変だ。
まあいいところ卒寿を人生の卒業と設定して、卒寿卒業小論文(卒寿小論)としてまとめておくことにしよう。