syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 56 指をなくした友  <掌編15>

 12月24日、クリスマスイブの朝であった。


 今年、一番の寒さとなり、湯の町にはめずらしく粉雪がちらつき、1945年(昭和20年)の終戦の年は日本全土が厳しい生活を強いられていた。


 なんといっても、働き口がない。駅西口、当時は裏駅と呼び、東口の海に面した通りのほうを表駅と呼んでいた。
 裏駅から山手の方に歩いて4,5分の所に空き地があり、ドラムカンの中に近くで拾い集めた木片を放り投げ、焚き火をして暖をとっている3,4人の大人のグループがいた。


 「おいちゃん、あっためらせて」といって、大人のグループの中に入っていく。これが冬場の日課だ。
 「今日から冬休みか、ぼくたちは冬休みがあっていいのう」


 30分ほどたつと大人のグループは、裏駅から山手の方に延びる道路工事の仕事にとりかかった。大人たちが仕事を始めると、子どもたちだけがドラムカンの焚き火に手をかざして、火の番をして大人たちが休憩に入るまでを過ごすのである。


 いつもは子どもが4,5人は集まるのに、今日は珍しく私と隣に住む同級生の「鉄ちゃん」の二人だけであった。
 鉄ちゃんは左手をにぎりしめて、私の向かい側から両手を火にかざして暖をとっていた。
 しばらく経って、大人たちの休憩にはいる一息ついた話し声が近づいてきたので、私は数メートル後ろにつまれている木片をとりに行った。背をかがめて木片を手にしたとき、何かが破裂する音に私はしりもちをついて音の方を見た。


 ドラムカンの向こう側に鉄ちゃんがうつぶせに倒れていた。


 おいちゃんたちが駆けつけて、一人は血の吹き出ている小指を、日本タオルを引き裂いて縛り上げ、長い紐で心臓に近い腕を縛っていた。もう一人のおいちゃんは、工事現場のリヤカーを引いてかけつけた。どこの病院に運んだのかはっきり憶えていないが、裏駅から近い病院といえばその当時流れ川通りにあったN病院であったと思う。


 終戦後、扇山や十文字原や近くの森の中に、戦闘機の造りかけのエンジンや鉄砲の弾などが無造作に捨てられていた。小学校高学年から、中学生の男子は暇を見つけては捨てられた戦闘機器具の中から役に立つものを集めてきてはそれを金に換えていた。


 中でも戦闘機の造りかけのエンジンから、生ゴムや防弾ガラス、それに強力磁石などはいい金になったし、日常生活でも役にたった。


 市の教育委員会からの通達に基づいて、学校から鉄砲の弾や不発弾については「さわるなちかづくな」という指示や指導がたびたび行われていた。
 しかし、いたるところに戦争の残骸がころがっているのだから指示や指導はてっていしなかった。冬場になると市内のどこかで銃弾の破裂による事故が起こっていた時代であった。


 幸いに鉄ちゃんは、小指を吹っ飛ばしただけで命は助かった。ちょうど1945年(昭和20年)の12月24日、小学校3年生の冬休みの出来事であった。
 鉄ちゃんは小指の第一関節から先を拾った鉄砲の弾で吹っ飛ばしたが命には別状なく回復し3学期の始業式から登校をいつも通りに始めた。


 鉄ちゃんと私はその後大きな変化もなく小学校、中学校を卒業して、県立T高等学校へと進学した。T高等学校は県内でも五指にはいる進学校であった。
 二人の違いは、鉄ちゃんは部活動には入らずもっぱら読書一筋で高校時代からかなりレベルの高い本を読んでいた。


 一方、私のほうは運動部に所属し本を読む暇もなく部活動を楽しんでいた。中学時代は野球部、高校に入ってバスケットと球技が好きであった。今考えると本当は球技よりも器械体操の方が体格的にいっても技術の面からも向いていたような気がする。


 小学校高学年から中学時代にかけてみよう見真似で鉄棒は、当時では友だちの誰もがやれない技を習得していた。蹴上がり、ともえ、大車輪、中抜けなど軽くこなしていた。


 鉄ちゃんが運動をしなくなったのは、小指をなくしたことが一番の原因であると思う。体格のいい当時としては大柄(175cm)な鉄ちゃんはいつも小指を気にかけていて人に見せないように振舞っていた。そのためにもともとの優しい性格が内へ内へと向っていく生活態度になっていった。


 「鉄ちゃん、進学はどうするんや」
 高校3年生になって、すぐにたずねてみた。鉄ちゃんは即座にこたえた。
 「大阪に親戚が居るんで、大阪の大学の法学部にきめとるんや。進ちゃんはどうする
  んや」
 私は全く進学のことを考えていなかった。
 「どうしようかな。そのうち、決まったら知らせるわ」


  高校生活最後の夏休みに入って、私と鉄ちゃんは一緒に市立図書館に通い始めた。お互いに家では勉強をする気分になれない環境であった。
 「俺、地元の大学にするわ。教師になってバスケットの部活をやってみたいわ」
 「進ちゃんは運動神経いいから、どの部でも指導できるよ」
  それから、二人は予定通りに、鉄ちゃんは大阪の大学、法学部へ進み、私は地元大学へ進学した。


 大学1年生の夏休みに久しぶりに再会した。


 本当に久しぶりという気分であった。それも、家が隣同士で小学校から高校まで、ほとんど毎日、朝は一緒に登校した。中学からは帰りの時間は私が部活をやっていたのでばらばらになってしまった。


  本好きの鉄ちゃんはいつも手に本を持っていた。
 「鉄ちゃん、今、なに読んじょるんや」
 「ヒルティーの幸福論や」


  その程度の話で一年目の夏休みが過ぎて。二年目の夏休みを迎えた。
 「鉄ちゃん、おれも幸福論を読み始めたよ。キリスト教の思想が根底にあるのでなかな
  か抵抗があるなあ」
 「仏教思想と比較しながら読むとかえって理解しやすいで」
 「そうだよね、日本人と仏教は生活に密着しているし、なんといっても親しみがあるから
  なあ。ごく自然に入ってくるよ」
 「神と仏の根本的な違いを意識して読まないとその辺で混乱するよなあ」


 二年目からの夏休みは、鉄ちゃんのアルバイトが始まり、お盆を挟んで五日間ぐらいの帰省になった。


 「それはそうと何のバイトや」
 「俺はバイトする気持ちはなかったんだが、街で出会った紳士にうちの店でバイトをしま
  せんか。夜、ちょっとだけカウンターに入ってくれればいいよ。ということで、バイト
  始めたよ。クラブというのかな。バーというのかな。ちょっとしゃれた飲み屋だ」


 鉄ちゃんも少し戸惑った感じでバイト先の話をしてくれた。
「オーナーがバイトを始めた最初の日にな、指を隠すな、堂々と胸を張って生活しろと言う
 んだ」
「その通りだよ。いいことだ」
「俺も近頃やっと指を気にせずに生活できるようになったとよ」
「それでバイトの仕事内容はなんだ」
「会計かな、会計の補助かな。一人若い女の子が会計に居るんだ」
「鉄ちゃん。わかった。用心棒だ。気をつけろよな」
「俺もそう思う。気を付けるよ。だけどオーナーは素晴らしい人なんだ。思いやりはある
 し、気風がいいんだ。」


 大柄な真面目な鉄ちゃんが堂々と「なくした指」を隠さずにカウンターに居るだけでバイトの役目を果たしているのだろう。

               

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