卒寿小論 6 散る桜残る桜も <俳句 6>
散る桜 残る桜も 散る桜 良寛和尚
私を認めてくれ、私を引き上げてくれた先輩諸氏がつぎつぎと散っていった。もう辛口の助言をしてくれる人は私の周りにはいなくなった。
何とも寂しいことである。
やがて散っていく身ではあるが、最後まで自分らしい「中くらいな良い加減な生活」を中くらいに楽しんでいこう。
さ く ら
季節の花300より
サクラの花言葉は「精神の美」や「優美な女性」など
参 考 良寛和尚
『越後国出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)に、四男三女の長子として生まれた。生家はこの地区の名主・橘屋であり、父・以南は名主の傍ら石井神社の祠職を務め、俳人でもあった。
18歳で出家、75歳で没するまで、歌、俳句、詩、書と無欲恬淡な生涯を送った。』
辞世の句 うらをみせ おもてを見せて ちるもみじ
資料によっては、 散る桜 残る桜も 散る桜 を辞世の句としている。どちらの句も良寛和尚の「命のすがた」をたしかにとらえている。
私は、「うらをみせ」の句は、死の直前の覚悟の一句であり、「散る桜」の句は生きている時の覚悟の句である。と受け止めている。
も み じ
季節の花300より
前安倍内閣総理大臣に臨む。「桜を見る会」の復活と全国への普及をお願いしたい。
「散る桜残る桜も散る桜」の覚悟で無欲恬淡な生き方の実践者の姿を見せてはいかがか。
良寛和尚の歌もまたよし。
風きよし月はさやけしいざともに踊り明かさむ老いのなごりに
今生きている命を「如何に生きるか」限られた「いのち」の中で無欲恬淡に感謝の気持ちで生きたいものである。
さて、うらをみせ 表を見せて 散ることができるか、なかなか難しいことである。卒寿小論にあたっての難しい課題の一つである。