syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 87 花に嵐のたとえもあるぞ <掌編23>

 歳をとってくると時々夢を見ていると意識して夢を見、夢ではないと意識しながら夢を見ている時がある。夢と現実が夢の中で交差する。何とも不思議な体験をすることがある。


 ある日、ばったりと、仏さまにおあいいたしました。


 絵や彫刻にある仏さまのお姿とすこし違っていましたので、最初の数分間は判断がつきませんでした。それでもすぐに、仏さまだなあと思うことができました。


「失礼ですが、あなたは仏さまではございませんか」ついロぐせの「失礼ですが」ということばが口をついて出てしまう。
 仏さまは、静かにうなずかれました。


 「仏様と言われるほどの仏ではない。此岸(この世、現実の世界)から彼岸(あの世、理
  想の世界)へ渡っただけの仏じゃよ」


 私はとっさに、これまでいろいろ聞きたいと思っていたことを急いで整理してみましたが、いざ口を開こうとしますと思うようにしゃべることができません。


「人間は死ぬとどうなります」
「そうだな、別にどうなるということもないが、生きているお前に死後の世界を話しても、
 理解できまい。また、いったい死後の世界のことを聞いてどうするつもりだ」
「どうするつもりもありません、ちょっと不安になるものですから」
「別に心配することはない。今の地点から隣の町へ行くのに一地点一地点を瞬間に通り過ぎ
 るように、生から死というトンネルを瞬間に通り過ぎるだけだ。ただ暗いのでちょっと不
 安になるが、通り抜けると前よりも明るく見える」


「引き返すことができますか。」
「ああ、できるよ。中には途中で引き返す者もいるし、そのまま通り過ぎてしまうものもい
 る。引き返すにしても、通り過ぎるにしても、ごく自然だよ。」


「仏さまのお話を聞いていますと、旅のようでございますね」
「そうだよ。見送り人のいる時もあるし、いない時もある」
「見送りをする人々は悲しむでしょうね」
「そんなことはない。悲しむ人もいるが喜ぶ人もいる」
「それでも、家族の者はみんな悲しむでしょう」
「そりゃあ、悲しむ人の割合は他人よりも多いが、喜ぶ人も時にはいる。考えてごらん旅を
 する当人でさえ、悲しんだり、喜んだり、さみしがったり、その時、その場で心が変わっ
 て行く。どんなに悲しむ人でも不思議なものだな、四十九日が過ぎれば普通の生括にかえ
 るよ」


「そういうものですか、何か、仏さまのお話を聞いていますと、心がなごみます。また、た
 びたびお会いしまして、お話を伺いたいと思いますが」
「そうだな、そうたびたびは会えんだろう」
「どうしてでございます」
「宇宙は広いし、人間は多い。私がひまな時でも、お前さんが忙しい時だってある。ここで
 別れたら、もう二度と会えんかも知れんなあ」
「それはさみしいことでございます」


「しかし、もう、私に会わなくてもいいだろう」
「どうしてです」
「私の話すことは、いつでも同じだ、二度三度会って話しても、変わりばえはせんだろう」
「いえ、いえ、そんなことはございません。私は何度同じお話を閲いても忘れるし、何度同
 じお話を聞いても、おもしろうございます。同じお話でも、聞くたびに、私の受け取り方
 は変化していきます。一度よりも二度、二度よりも三度と、聞くたびに、今まで聞けなか
 った声が聞こえてくるのでございます」


「仏のような耳の持ち主じゃのう」
「ありがとうございます」
「お前さんのような人と話していると、このわしの存在がおかしくなってくるのう」
「どうしてでございます」
「お前さんのような人には、もう私は必要ではない」
「そんなことはございません。一緒に居るだけで、心がなごむようでございます」
「そうか、そう思ってくれる人が居るとはありがたいことじゃ。今日からお前さんがほとけ
 になるといい」
「いいえ、とんでもない、私ごとき者がどうしてなれるでしょうか」
「なれる」


 仏さまは、底力のある慈悲に満ちた声で私を一喝されました。瞬間、私は新しい光を身体に受けました。今まで見えなかったことが見えたようでございますが、果してそれが何であったかは、今だに思い出せません。
 更に、仏さまは話を続けられました。


「なれるものじゃ。人間、誰にも、仏の心がある。その仏の心を見つめようとしていると
 き。また、仏の心が見えているとき、仏の声を聞こうとしているとき、また、仏の声が聞
 えているとき、その人は仏じゃよ」
「そうすると、私の中にもまわりにも、仏さまは存在するわけでございますか」
「そうじゃ。生死を越えて、仏はお前さんの中にも、まわりにもいる。ただ、物のかげにな
 ったりするので、見えたり、見えなかったりするだけじゃ。今日は、私もお前さんに会っ
 て、自分の仏心を見直すことができてうれしいよ」


「仏さまにだって、そういうことがございますか」
「ある。ある。人によって、私の心が光ったたり曇ったり、まあ、お前さんも、これから
 は、私に会おうと思ったり、仏になろうと思ったり無理な努力はやめることだな。ごく自
 然に私に会える時には会えるし、仏になれるときには仏になる。何様になることもない。
 あわてることはない。そのままでいいのじゃ」


 はっきりと意識した夢の中で、私は、静かにうなずきました。仏さまはそのまま去って行かれました。

                    

                         さよならだけが人生だ

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