卒寿小論 718 戦後50年、地震とサリンじゃのう

村山富市「首相体験」のすべてを語る
インタビュー 辻元清美
< 阪神大震災も首相もTVで初めて知った >
辻元「在任中に阪神大震災が起こっているんですけれども」
村山「・・・すぐ閣議を開いて、対策本部をつくって、それで対策本部で進めていった」
辻元「あの日は、いつお知りになったんですか。当日朝5時46分ごろ地震が発生していますが」
村山「朝、6時のテレビのNHKニュースじゃ」
辻元「じゃ、NHKニュースを見るまで知らなかった?・・・官邸にはまだ知らせが届いてい
なかった。危機管理って、それからずいぶん言われるようになりましたね」
村山「・・・第一、官邸には危機管理のための当直がいないんやから、24時間の・・・
国土庁は災害なんかの所管の省じゃな。その国土庁にも担当の当直がいなかったんじ
や。・・・危機管理体制というのは、制度疲労みたいなものでな、全然今までずっとなかったん
じゃ。・・・」
辻元「それですぐ会議を招集して」
村山「招集した。とりあえず国土庁に、現地へ行ってもらった。・・・制度や法律にかまわ
ずに、やらなきゃならんことはやり尽くせと言った。責任を持つからやり尽くせと・・・自衛隊
はいつでも動けるような態勢はつくっておったわけじゃ・・・混乱しておるところへ総理が行
ったからと言って、迷惑をかけるだけでね。・・・政府として対応する態勢をどうつくるかのほ
うが大事だというので、すぐ行くのは僕はやめたんじゃけどね」
辻元「それで、視察されて帰ってこられて」
村山「・・・災害対策本部をつくって、担当大臣をつくったんじゃ。小里地震担当大
臣、・・・特命にしたんだよ。・・・小里さんが中心になって、実によくやってくれたと感謝してい
る。・・・」
一月に阪神大震災が起こって、三月にオウムサリン事件が起こった。地下鉄サリン事件は、
野中自治大臣、国家公安委員長がてきぱきと采配を振るって解決の方向へと筋道をつけた。
ハイジャック事件もあり、50年目の村山政権は激動の時代を乗り切った。
機密費にノータッチの村山総理であったから、信頼されて、
総理を支えた人が多かったのではと思う。
辻元「総理になったら十数億円、総理が直属で使える予算がありますよね」
村山「知らんな、それは」
辻元「えっ、機密費というやつ。知らない」
村山「金は一切当たったことはないわ」
これが村山総理の生きる基本であった。これが信頼の第一であった。
最初にして最後の機密費を知らない、機密費にノータッチの内閣総理大臣である。
大分県人の誇りである。
裏を見せ表を見せて散る紅葉 良 寛
裏も表もみせて、散っていけるかな 自信ないよ 正悟