卒寿小論 720 哲学書を読めそうな気がする?

これまで何度か、哲学書に挑戦してみたが、その都度同じページまで読み進んでは
「分からん、面白くねえや」と、投げ捨てていた。
どうも哲学するタイップの人間ではないことを改めて自覚したものである。
だから、かえって哲学する人に興味を持ったのかもしれない。
そんなある日、ラジオ深夜便で野矢茂樹さんの話を聞いた。
確か、アンカーは村上里和さんだったと思う。
お二人のやり取りが和やかでとても良い雰囲気でゆっくりと楽しく聞くことができた。
早速、次の日にネットで、野矢茂樹さんの「語り得ぬものを語る」という本を購入した。
タイトルがいいし、第一の小見出しが、「猫は後悔するか」であった。
じいっと、表紙の題字を読んでいると、「語りえぬものを語る」
これが哲学する事かと感心した。
「語りえぬものは、語りえない」のが、今までの私の単純な考えなのに、
それを語るとは、矛盾に挑戦していく思考が、哲学すると言うことなのかと。
では、「語りえぬもの」とは、どんなものがあるのだろうか。
本を開くと「猫は後悔するか」が小見出しの第一であった。
なるほど、これは「語りえない」は,なあ。
結論からいくと「猫は後悔しない、人間だけが後悔する」と。
これをどう語っていくのか、その思考過程が「哲学」だな、と思いながら読んでいった。
私の考えと野矢氏の考えには少しだけ違いがあったが、
先ずは野矢氏の思考過程を素直に受け入れていくことにした。
分からない所はスルーして、分かるところだけを確り読み取るようにすると
読むことだけは,以前よりも楽に読めていった。どれほどの理解かは全く分からない。
これまでは哲学書を読めないと思っていたのに、思わぬ読めたことが嬉しくなってきた。
何となく最後まで読み通せそうにある。
「いい加減にほどほどに生きる」のが私の生き方の基本であるので、
哲学することはどうも私には合いそうにない。しかし、せっかく買った本だから、
今回は最後まで読み通してみようと思っている。
「猫は後悔しない。人間だけが後悔する」
後悔のできる人間は、何度も同じ失敗を繰り返し、何度も同じ後悔をする。
後悔のできない猫は、一度しつけると同じ失敗をしない。なしか。