卒寿小論 577 なぜか今、細川護熙(もりひろ)連立政権を思い出す 次の参院選で何かが起こりそうだ
1993年(平成5年)宮沢改造内閣不信任決議案に賛成して、
羽田孜、小沢一郎を初め衆議員50数名が離党し、自民党が過半数を割り、
自民党が下野した。
日本新党代表の細川護熙氏が第79代の内閣総理大臣となる。
非自民・非共産の連立政権、
佐川急便より一億円借り入れ事件を追及され総辞職し、
総理としての任期は8ヶ月の短命に終わった。
小選挙区比例代表並立制や政党助成制度を導入した。
そのあとを受けて、羽田内閣が誕生したが、
故あっての社会党の連立政権離脱のため少数与党となり在任64日
と言う戦後2番目に短期な内閣で終わる。
このあと国民がアッと驚く、自社さ連立政権が誕生するのである。
このいきさつは、項を改めて提供したい。
亀井静香氏の談話
「自社さ政権は、最大野党だった自民党が、連立を離脱した社会党と組む
ウルトラCを考えた結果だ。自民党が政権復帰するために使える手をなんでも
使うという執念から生まれたのだ。村山首相以外では誕生しえなかった。
自社さ政権は、野武士みたいな政治家が集まり、歯ごたえがあった。
今思い返しても非常に倫理観があり、バランスの取れた優れた政権になっていたのは、
村山さんという人格者をトップに据えたからだと思う」
大分県が誇りうるただ一人の社会党出身の「村山富市内閣総理大臣」を
詳しく紹介していきたいと思う。
多分に誤解されている面があると思うのでその実像を大分県人として詳報したい。
