syougoのブログ

余命ゼロ年の壁を超えてしまいました。転ばぬ先の杖を手にして、卒寿まではブログを頑張ってみたい。

「山のあなたの空遠く」に「幸い」を求めなくても
働いた後の休息が、至福の時であることを実感。
余命ゼロ年の暇つぶしに。我を忘れて夢中になれる
ブログに挑戦していこうと。

夢中になれることがあることに感謝。

卒寿小論 674 中村天風一日一話 7月13日(日)

藤 正悟

以前に買った本を今読み直している。

50代での読みから80代の読みはそれなりに深まっている。

それでも分からないことの方が多い。


7月13日は、 「観念要素の更改」という見出しであるが、

観念要素という言葉が理解しにくい。

辞書的理解は、観念は人が物事に関して抱く主観的な考えで、

要素はその基本的な部分や成分と言う事であると。

それをどのように更改すればよいのかと考えてくると全く分からなくなる。


本文を読むと「・・・生きる正しい方法を知って生きたら、・・・人生ぐらいありがたいものはないと・・・結局、心が人生を感じる感じ方でそのまま極楽にもなり、地獄にもなる・・・・。

そこで、心に極楽を感じせしめていきようとするには、心のなかを掃除しなければ・・・クリーニングしなきゃだめなんです。」


心のクリーニングが、「観念要素の更改」ということであると。

まったく分からなくなった。

そこで自分なりに心のクリーニングの方法を考えてみた。

クリーニングですから、心がさっぱりと爽快な気分になればいい。

ということで具体的に考えてみた。


身近なことから、「散髪の後はさっぱりする」「入浴もいい」「旅行」「友と酒を吞み、

談笑」「美味いもの食べる」「映画・音楽・芸能」「読書・スポーツ」、中でも「働いた後の一杯は、

最高」などなど。心のクリーニングは、人それぞれのクリーニングの仕方がある。


このクリーニングの後の爽快な気分を「観念要素の更改」として、

心に定着させ維持していければそれでよし。と自分なりに理解し納得している。

心をクリーニングするということは、具体的な行動を手掛かりに実践するしかないような気がする。


こんな考えでよいのかなあ?これぐらいのことしか思いつかない。

                        

































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