卒寿小論 259 兼好と長明の住居観(徒然草4)
兼好と長明の住居観
鎌倉前期の「大火、辻風、遷都、飢饉、地震、保元の乱、平治の乱」と大混乱の中を生きた鴨長明と武士の力が定着してきた安定した鎌倉後期に生きた吉田兼好では人生観に大きな違いが出るのは当然である。
特に、住居についての考えは大きな違いを感じる。
鴨長明は、いつでも分解、移築が可能な木造プレハブ住宅を考えだし、京の町を避けて自然の山野を移動し、自然の山野を自分の庭として仮の宿り、方丈の庵で暮らすことになる。
貴族の社会を若いうちに見聞した長明の本音は平安貴族の暮らしぶり、特に住居については願望が強かったのであろうと考えられる。
それに対して、安定した社会背景の中で暮らした吉田兼好は平安貴族の生活に対しての憧れが強かった。
『家居(いえゐ)のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興あるものなれ。』(第10段)
「住居が住人に似つかわしく、望ましい状態であるのは、一時の宿にすぎないものと思うが感興を感じるものである。」
兼好は落ち着いたたたずまいの平安貴族の生活にあこがれ、それを奥ゆかしいと思っている。
この生活体験の違いと持って生まれた素質が後々の「出家」の動機や生活の在り方に影響を与えているように思われる。
兼好と長明の成育歴を追っていくとその違いがよく見えてくるようである。
彼らの作品を読みながら、彼らの生涯の後を辿ってみたい。