syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 406 きょういくの姿が見えなくなった(教育33)

 安倍元首相が亡くなって教育の姿が見えなくなった。


 家の前が小学校のグランドで子供たちの元気な声が以前は家の中まで響きわたってきた。今はその元気さが消えていった。
 子供の数が減ったせいだけではない。登下校の子供たちも行儀がいい。


 安倍さんが亡くなって、文部科学省や教育族と言われる政治家たちの動きも見えなくなった。
 憲法改正や教育問題についての熱意が安倍元首相の死を境に大きく変わってきたのを実感する。


 教育も医学も、教育界や医学界「界」がつくと「界」の中では動きが取れないようである。よほどのリダーシップをもった人が出てこないと正論をはいてみんなをある方向に引っ張っていく力はない。


安倍元首相は稀に見る政治家であったのだと思う。
安倍元首相の時代はきょういくの姿がよく見えた。
教育に関して多くの人が関心を示し、行動をした。


 さて、これから見えなくなった教育の姿をどうして見えるようにしていくかである。


 文部科学省、日本教職員組合(日教組)、全国教育問題協議会(全教協)
全日本教職員連盟(全日教連)、そして日本会議等
の動きを丁寧に比較検討して、現場の声を聴きながら、きょういくの姿を記録していく。


 今、教育はどうなっているのか、88歳からの趣味として楽しみながら観察していこう。最晩年の暇つぶしです。

  

     わが母校で定年を迎えたことはなんという巡りあわせか。感 謝


     

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