syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 356 甲子園が好きな日本人

 アメリカから英語教師として日本に来ていた20代の女教師が「運動会」を初めてみて「これは素晴らしいアメリカにはない」と驚いていた。


 紅白対抗リレー、騎馬戦、綱引き、応援合戦など、すべてが紅白対抗か学年対抗で競技が成り立っている。


 個人が中心となるのか、団体が中心となるのか、ここが日本とアメリカの大きな違いである。


 明治の学校教育が始まって以来、文部省(現文科省)は、集団を対抗させることで競争心を煽り、教育効果や団結心を育成してきた。 それが延々と令和の現在まで続いている。


 学級対抗、学年対抗、学校対抗から始まって、地域対抗にまで広がっている。


 地域対抗の一番が甲子園の都道府県対抗の野球である。
 日本中の人が、野球の好き嫌いにかかわらず関心を持っている。


 今では野球だけではない俳句甲子園や○○甲子園という命名で行事を盛り上げている。教育の世界まで、全国学力テストや都道府県別大学進学率、難関大学合格率と競争心を煽っている。


 確かに集団の団結心や個人のやる気を起こさせる効果はある。しかし、この集団主義が個人のいじめや不登校や犯罪にまで発展していくこともある。


 ある学校の学級対抗ソフトボール大会で身体に障害を持つ生徒に対しては、ツウストライク・スリーボールをスリーストライク・ツーボールにして障害のある生徒に配慮していた。これは生徒たちが自主的に決めたことである。
 そしてチーム全体が勝ち負けよりもソフトボールを楽しむ集団に成長していった。
 とても素晴らしい非常にめずらしいケースである。


 甲子園好きの日本人は、何でも集団対抗にしてしまうことが多い。
 集団主義から個人を中心に据えた教育に転換していく時期が来ているような気がする。


 余計なことだが、政治の世界でも自民党だけでなく野党さんも派閥を作りパー券でノルマを与えて競い合うと政権を取れる日が来るのではなかろうかと。裏金でも訂正で済むのですから思い切ってやってみては。


                                 


    

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