syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 26  目 撃 者  <掌編 3>


 安政五年(一八五八年)佐野島大火三十四戸焼失。その年、島民は生活に必死であった。働ける者はみな働いた。漁に畑仕事にと。


 源造も夜のあけぬうちから、裏山の段々畑で芋のとこ作リに汗をかき、太平洋の黒い海原から昇る朝日を拝んで一息いれた。


「やせた土地には、さつま芋が一番。」


 源造は一人言をいいながら鍬を持った。豊予海峡の荒波が突き出た岸壁にぶちあたり朝の陽光にきらめきながら飛び散る。入江の中では、一艘の御用船が波にもまれていた。


 佐野島は豊予海峡に点在する離れ島で最も水の便利のよい島であった。平地の至る所に井戸が堀られ、その井戸にはあふれるばかりの清水が青葉若葉の影を写して静かにふるえている。


 豊予海峡を通る船は、給水のため一度はここに立ち寄る。ここ一、二年各藩の御用船の往来がはげしく、何か世の中が大きく揺れ動いているのではないかと、島民たちもうすうす感じ始めていた。


 源造は、休憩するために段々畑を降りて、木陰にある井戸水を飲みにいった。段々畑を降り切って竹の茂みに入ると松の大木があリその下に清水があふれている井戸がある。


 源造は、茂みを出ようとして、さっと立ち止まった。人の足音と話し声が井戸の方に近づいて来るのを感じ取った。
 また、御用船の水汲みであろう。そう思うと源造は腰をかがめて、水汲みが終わるのを待つことにした。


 茂みの中から、じっと井戸の方を見つめていると二人の若い武士が、樽をかついで汗を拭き拭き表われた。


「時代は変わる。あと数年じゃ、新しい時代が来る。きっと来る」
「その時は、もう武士の世ではなくなるぞ」
 源造は聞き耳を立てた。離れ島では、彼等の話が世の中の動きを知る唯一のニュースであり、学問であった。


「いいか、この秘密は、世の中が変わるまで待たねばならぬ。それまではあせらぬように」
「よし、わかったその時を待とう」


 二人の若い武士は、樽を降ろすと、あたりに気を配ばリすばやく樽の中から、ふろしき包みを取り出し、素早く井戸の中に投げ込んだ。


「ドボン」と、にぶい重そうな音が、源造の耳にはっきりと聞こえた。二人の若い武士は、水を樽いっぱいにくむと、足早にその場を去った。


 源造は、はやる気を抑えて、竹の茂みの中で腰を下ろし、耳をすまし、じっと待った。体全体を耳にすると、三百メートル程離れた入江の船の動きがわかる。三時間も待ったであろうか、御用船の動く音を探知し、源造はおそるおそる井戸に近づいた。


 覗くと、五、六メートル程の水底に確かに何かがある。源造は上着をぬぐと、褌一つになって井戸の中に入った。


 初夏とはいえ清水は冷めたい。頭のしんが、痺れた。源造は一気にもぐると、ふろしき包みを拾いあげた。ふるえる手で包みを開けた。最後の油紙をひらくと、金塊がにぶく光っていた。


 上着を取ろうと立ちあがった時、源造はぎくりとした。松の木の横に、聾唖の少年、留吉が立ってこちらを見ているではないか。


 源造は、留吉に近づくと無言でぐっとにらみつけ、ふろしき包みを上着の中にまるめこむようにして帰って行った。


 それから十年、時代は変わって明治になった。源造は島を出た。


 明治十年の春、佐野島の入江に一隻の大型漁船が入港した。最新の魚取の方法を備えた船で、その持ち主が何と島の源造で、島民は源造の出世に驚き、島中のニュースとなって広がった。


 新築なった豪華な邸宅には、源造改め、佐野源太郎が網元として、島のいっさいの漁業についての采配を振るっていた。
 源太郎五十八才の元旦、年始の客にまじって、一人のみすばらしいみなりをした青年がやって来た。青年は、源太郎の面前で立ち止まると、無言でぐっと源太郎をにらみつけ、そのまま立ち去って行った。


 佐野原太郎は、悲壮な顔をしてみすばらしい留吉青年の後を追った。これより青年はにらみつけることによって、食っていく術を知った。


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