卒寿小論 263 教員不足は日本崩壊の一里塚 <教育8>
教員不足は日本崩壊の一里塚
50年程昔の昭和30年代を思い出した。新聞を開くと懐かしい言葉が躍っている。本当に懐かしい。
教員不足、教員の給与上乗せ、教職につけば奨学金返済免除と敗戦後から昭和30年代にかけて政治家が取り組んだ教育行政である。
あれから50年、また同じことが叫ばれている。
敗戦後の教員不足は教員そのものがいなかった時代である。
政治はいろんな手を打って教員を即席に養成してこの難局を乗り切った。教員給与の上乗せと奨学金返済免除が同時に行われた。
しかし、この教育施策は抜本的な改革にはつながらなかった。また、今になって、小手先の改革で教育問題を乗り切ろうとしている教育行政の姿が見える。
昭和30年代から目に見えて教職員組合に対する攻撃が激しくなった。
そして、教育界が抱えている問題の解決のないまま、勤務時間の問題、部活動の問題、正規非正規教員差別の問題、さらには教育内容や教育方法などの教育行政問題など放棄したまま50数年が経ってしまった。
今(令和5年)の教育問題は50年前の教員不足の問題と根本的に違う。
この50年間で「教育」を儲け仕事にしてしまった責任は政治の与野党を問わず大きな問題である。
今回は思い切った抜本的な見直しが求められている。小手先で胡麻化すようなことで乗り切ろうとすれば日本丸の沈没は目前に迫って来るだろう。
教育の専門家や国民の意見に先ず耳を傾けることから始めてほしい。
アイデアに生る 油屋熊八 村上秀夫著より
「人間はのォ。落ちる処まで落ちたら、もうそれ以下はない。・・・あとは固い岩盤に支えられて、今度は這い上がるだけだ。」・・・
タマエが旅館をしたがっている。あの女なら、きっと頼りになる。お前も知ってのとおり彼女は、ぼくの二号とか妾とか世間は呼んでいるが、ぼくはそんな男と女の関係だけではないと思っている。・・・