syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 34 な み だ 橋  <掌編 6>

         

               大分合同新聞掲載の挿絵より



 国に国境があり、県に県境があるように、血縁の親子の中にも越すに越されぬ境がある。


 このなみだ橋は、町と村との境を流れる谷川にかけられている幅三メートル、長さ五メートルほどのごく小さい橋である。小さな橋ではあるが村に住む人々にとっては、自分たちの世界と他の世界とを区別する指標でもあった。


 村人は旅立つ人をこの橋まで見送る。それから先には一歩も進まない。どんなことがあっても、このなみだ橋で別れを告げる。


 それは、ただ、町との境であるという理由だけではない。一つの自然環境からくる条件もあった。
 山水の澄んで流れる谷川の裂け目は、そこで人間の行動を抑制する。この橋を越えると一本道は数メートルでカーブし、あっという間に消えてしまう。人との別れに最適の場所であった。
 村人の生活の歴史の中で、この橋は、時には、すすり泣き、また、むせび泣くドラマの舞台であった。


 芳男は、大学生活最後の正月を郷里で過ごすために冬風のざわめく夕暮れの山道を急いでいた。町でバスを降り約十五分、やまのカーブを曲がるとなみだ橋がすぐ目前に白く浮き上がって見える。この橋が見えると、なんだか急に故郷に帰りついた安ど感で一息つき、今までの速歩がゆるむ。


 大学に入学して村を初めて出る時、芳男はこの橋からバス停まで、涙が流れてしようがなかった。この橋を見るたび芳男は、その時の光景を思い出す。見送りの人の顔だけが、印象的にいまだに橋の上にぽつんぽつんと浮かんでくる。


 あれ以来、何度となくこの橋の上で、見送り人との別れの行事を繰り返しているうちに最初のような感動はなくなり、涙も出ることがなくなった。 しかし、別れというものは、さみしいことにはちがいはなかった。


 この村を離れて、芳男は故郷を思うたび「おれの村は巣箱じゃ」とつぶやく。都会にいるとふっと故郷を思い出し、帰省の心にかられるけれども、たまに帰る我が家はもう自分の住む所ではないことがよく実感できた。


 何もかも、自分の寸法に合わなくなっている。この村、この家からは、何も吸収するものはなくなり、さすらう旅人が、疲れをいやすために一夜の宿を借りるほどの役割しか果たさない。


 若い芳男の心臓の鼓動と、この村の生活のテンポは、どこかなじまず大きくくいちがっていた。一週間も滞在すると心のかたすみから徐々に苦痛がおそってくる。それでも、ことしは、正月に芳男の大学卒業と就職祝いを兼ねるということで、親子兄弟孫たちが全員そろって、にぎやかな正月を過ごした。


 三人の兄と一人の姉は子持ちなのでいつからともなく自然と母のことを「おばあちゃん」と呼ぶようになったが、一人芳男だけが「かあさん」と呼んでいた。
 芳男は、母が四十過ぎてからの末っ子のせいか親からも、兄弟からも、特別扱いにされている面があった。


 正月も三が日が過ぎると、一人抜け、二人抜けして、また以前の静かな、あの冬の太陽のにぶい光線が縁側でふるえるのがわかるような暮らしにかえる。
 正月三が日は、近年にない暖かい日が続いたが四日から少し気温が下がって、正月らしいひきしまった風が吹いた。


 「かあさん、もう六十五かのう」
 「そうよ、お前の歳に四十三たしゃあいいんじゃけん。じいちゃんが死んだ時、お前が高校じゃった。学校出るまではがんばらにゃと思っとったが、出てしまうと、今度は嫁をもらうまではと思う。だんだん欲が出るもんじゃ。」
 嫁をもらうと孫が生まれるまでと人間の生への欲望は次から次へと続いて果てしがないものである。


 一つの細胞が分裂して二つになり、二つが四つにと増えていくように、親が子を産み、子がまた子を産む。そして、家庭の中心になるのは、いつも一番新しい幼い生命である。
 この新しい幼い生命が核になるような家庭のことを芳男は自分なりに核家族と名付けていた。核分裂を起こすたびに、中心は外へ外へと、はじき出されて大宇宙の中に飛散して自然に帰る。


 「もう、あした行くで」
 「あわてて、芳も向こうにいい女がおるんじゃねえのか」


 長男のはじめが、冗談とも本気ともつかぬ口調で横から口をはさんだ。


 翌日は、目に見えぬような細かい雪が、時おり風に乗って、庭の木々の間を舞って、空から降っているのか、黒い大地から吹き上げられているのかわからない天気であった。


 いつものように、芳男と母が先を、兄夫婦と子供たちが後ろから、荷物を持って見送ってくれた。


 「かあさん、たよりのない時は元気にしとると思って、心配せんでくれや」
 「たよりがいつくるかと心配しとるぐらいじゃ」


 みんなは大笑いした。なみだ橋の上で兄から荷物を受取り、別れのあいさつをして橋を離れた。
 いつもの芳男は決して振り返らなかったが、きょうは、大笑いの余韻もあって、いい気分で振り返った。


 鉄筋づくりのさむざむとしたなみだ橋の上に、右手を橋のらんかんに、左手をわずかに後ろにまわした石造の彫塑を思わせる母の無表情な何かに耐えている姿があった。


 身をしぼるような冷たい涙が体内を流れた。

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