卒寿小論 347 この親にしてこの子
江戸小咄は笑いの原点
親 子 酒 (いい親子だ、息子もいい親父になるぜ)
親父、酒に酔って帰り、
「コリャせがれ、おのれの顔は三ツに見える。そんな息子に跡を譲ることはならぬ」
同じくせがれも酒に酔い、
「こんあグルグル廻る家が、何の役にたつ」 (座笑産)
バクチはよせ (ごもっとも、親父ありがとさん)
親父つくづく思案し、一ッ時の栄花は千年の寿を延べるという言葉もある。ちとこの世の極楽へ行って見ようと、にわかに黒油を買わせて白髪頭へなすりつけ、夕方から出て行く。
吉原の大門をはいるとむこうから息子の甚吉、女郎の肩にもたれながら、いいきげんで歩みくる。親父せんかたなく、
「コレ甚吉よ、ばくちはならぬぞ」 (座笑産)
蚤 (粋な親父、経験が生かされてます)
二十四五になってまだ女房もたず、部屋住みの息子、ある夜、女をそっとつれこむと、夜中に母親が息子の部屋まで来て、
「ふしぎに今夜は物音がするが、気分でも悪いか」
「イヤ、気分はいいが、今夜は何としたか、蚤がせせります」
世の明ける前に、そっと女を帰したが、朝飯の時に親父が、
「せがれ、ゆうべの蚤にも朝飯を食わせてやればよかった」
(軽口あられ酒)
十 文 字 (お袋はもったいないがだましよい、涙)
総領の倅、おし肌ぬぎ、腹へ墨で十文字を書く。母、見つけて、
「なにをしやる」
「二百両使い込みましたから、申し訳なさにこんな具合に腹を切ります」
お袋あわてて箪笥から臍繰りを百両取り出し、
「まず、筋を一本消してたも」 (座笑産)
何やかやと言いながら、親バカが子供を育てるんだ。ありがとう。