syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 354 塾がはやるわけ

 学校教育が教育の基本である「知識と技術と徳育」以外の本来なら家庭や地域社会が受け持つべき内容まで抱え込んでいるから、現在の受験体制を乗り切るために「塾」が流行るのではないかと考える。


 核家族による家での躾や教育が困難になってきた。


 多くの家庭ではそれどころではない。生活のための仕事に追われている。おまけに地域社会の役割が薄れて、学校に頼るしかない。ところがその学校も本来の機能を果たすことができない状態に追い込まれている。


 先ず、学校教育が本来の仕事に打ち込めるように改革していかなければならない。思い切って教育内容の精選をしていく。


 出来れば、午前中だけで基本の教育が実践でき、午後は地域社会と連携してクラブ活動や部活動を持ち込み情操教育や生活指導をおこなう。
 そのような教育内容の精選をすれば塾に行かなくても教育の基本である「知識や技術」を身に着けることができる。


 さらに、教育システムを変えて、無償の「小・中・高」一貫教育にして、大学入試はすべての大学に任せる。高等学校の内容も豊富にして自由に選択でき、高校に進学するか、どこの高校を選ぶかも自由にする。


 大学入試では、高校からの内申書を第一の資料にして、あとは大学独自の入試内容にする。


  まあ落語に出てくる夢のような話であると思う。


 今の教育制度で国民をコントロールしている政治権力では変わりようがない。


 裏金問題の政治資金規正法さえも変えることをしない政治権力で国民のためになるように変革することは先ずあり得ない。


 しかし、高等教育(大学)を受けても就職がない時代がやってくるとそこから急速に教育の在り方が変化していくだろう。


 国内最高と言われる大学教育をうけても法律も守れない人達の姿を見せつけられては、国民が教育の在り方を信用していない時代がすでにやってきている。


 教育、特に大学受験を含めた教育制度は変わり始めている。


      どう変えるのか、国民は発言と行動のチャンスを待とう。

     

        


  

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