卒寿小論 363 責任を取らなくなった日本人
責任のある人が責任を取らないで、責任のない人が責任を取る時代にいつからなったのであろう。
「俺が離党や辞職に何の意味があるのか」
責任の意味も責任の取り方もわからなくなってしまった責任者達。
武士は「私が切腹をして何の意味がある」などとは言わなかった。
だから、切腹の意味が庶民に伝わっていったのである。
責任を取る意味は責任を取る人が考える問題ではない。責任の取り方を見て、その意味を国民が考えるのである。
あなたが正しく責任を取ってみなさい。その時初めて国民が責任の意味や責任の重さを実感するのである。
今、政治家を筆頭にあらゆるところで責任を取らない日本人が多くなってきた。
難関大学を突破して一流企業や官僚になった人ほどその傾向が強い。
責任を取らない代わりに言い訳は山ほどする。
「上からの指示に従った」「初歩的ミスで訂正をする」「会計責任者がやったこと」
次に戦争が起こるときも、上からの指示や初歩的なミスということになるのであろう。
このような人物を国会議員に選ぶのは危険である。「初歩的なミス」が多すぎる。初歩的なミスで戦争になっては、国民はたまったもんじゃない。おまけに上からの指示に反論ができない。
戦争責任を問われると。
「私が戦争責任を取って何の意味がある」ということになる。
難関大学の高等教育はどのような人格の人を育てているのであろうか。ここらから見直さなければ日本の国は変わりようがないのでは。
松下村塾や広瀬淡窓の咸宜園などの教育を見直してみるのも一考に値するのでは。