syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 368 正室3人、側室7人、その他の女たち(宗麟2)

 最初の正室も2度目の正室もいわゆる政略結婚であった。


 最初の正室は、足利氏の一族である一色山城守義清の娘、2番目の正室は、国東郡安芸郷奈多八幡の神官、奈多鑑基(あきもと)の娘であった。


 最初の正室との離縁は義鎮(よししげ、後の宗麟)の配慮からであったと思われる。


 大友家のかつてない大混乱、義鎮の父、大友家第20代の当主大友義鑑(よしあき)の暗殺事件、世に言う「大友二階崩れの変」による混乱の中にまだ若い正室を置いておけないという義鎮の思いやりではなかったか。


 第2の正室とは、出家して宗麟と号して新たな出発に向けて、「宗麟は逃げた」のではないか。神道の家系に生まれた正室とキリスト教に関心を持ち始めた宗麟との間に何らかの問題が出始めたことも考えられる。


 第3の正室は、前夫人奈多氏のもとに仕え、宗麟の次男親家(ちかいえ)の妻の母に当たる人物で、教名「ユリア」当時40歳を超えて、病弱であり娘を連れての再婚であったと言われている。


 晩年の宗麟は、ユリアとの生活において初めて心の安定を得たのであろう。ユリアの中に母を見、ユリアの中に愛しい女を実感したのであろう。


 宗麟は、2番目の正室との間に3男4女をもうけ、ユリアとの間に連れ子を含めて、全てで3男6女が正式な子供たちである。


 しかし、側室7人の他、多数の不明な女たちに産ませた子供を考えるとその実数は不明だと言われている。
         次回は、美女を腕づくで奪った宗麟と女たちを

            

      

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