卒寿小論 384 贈与・賄賂・寄付の政治学
旧いメモ帳より ~2016・2・11~「日経春秋」
退屈しのぎに古いノートを引っ張り出して、パラっとめくったところを読んでみる。
2016年2月10日の衆院予算委員会で「政治とカネ」の問題で、安倍晋三首相は政治家一人一人の自覚を訴えている。この時から政治資金や資金集めパーテーの問題を警鐘していた。
室町鎌倉時代は、貴族や武家の間で付け届けが盛んであったと。先ず、金銭を書いた目録を贈り、便宜を図ってもらいたいことが成就されて後に金銭を贈るのが普通であった。
受け取る側もそのことを承知していて、「裁判を有利に運べない件についてはお金を求めない」と言っていた。
この時代から、「袖の下」や「まいない(賄・賂)」という言葉があったことから、正式な贈与と不正な賄賂は区別していたと考えられる。賄賂という言葉が一般的に使われるようになったのはいつごろからだろうか。
寄付という行為も純然たる寄付から、政治献金や資金集めパーテーの問題を含めて現代の大きな課題になっている。
大友宗麟は当時を代表する寄付(政治献金)の日本チャンピオンである。
時の足利将軍に南蛮貿易で手にした金や品物を献上し続けた。その見返りに六か国の守護職と六波羅探題職に任ぜられる。
当時の権力者は、金品を受け取った返礼のために金銭や品物名、その数量、持参したものは誰かと事細かに記録をしていた。贈った方も当然詳しい記録を取っていた。これが戦の初歩である。
現代もそれは変わりないと考える。
そうしていなければ、返礼ができなくなり、これからの資金集めに支障をきたすことになる。
ただ、誰がその記録を保管しているのかが分からないようにしている。
現代の秘書は記録はきちっと取るがその記録は保管していないと思う。そのような資料を持たせることは首根っこを押さえられることになるから。
政治資金や献金や還流金のきめ細かい資料はありますよ。それが戦略の一つですから。