syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 281 昭和を代表する文芸評論家 江藤 淳

 橋田寿賀子さんの死で思い出したのが、昭和を代表するカッコイイ文芸評論家、江藤淳氏である。


 何がカッコいいかと言えば文芸評論は勿論、時事評論も彼の人生そのものが変化球なしの直球勝負であったこと。


 昭和30年代から文芸春秋を購読していたが、江藤淳氏の論文が載ってない月がなかったほどに彼の文章を読む機会が多かった。
 だからと言って今記憶に残っている文章があるかと言えばほとんどない。


 ただ彼の死に方が強烈に私の記憶の中にある。


 妻慶子を、1998年(平成10年)12月に癌で亡くしてからはかつてのような気力を失っていったと言われている。最後は自らを「形骸」とし、自宅で自殺した。(66歳没)


 99.7.21、文芸評論家の江藤淳さんが、妻の死や病気を苦にして自殺しました。自宅に遺書を残していました。


「脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以 なり」


 彼の発言の中で心にかかっていたことが、今、現実となって日本国家に現れていることがある。


「人が死ぬ如く国も亡ぶのであり、何時でもそれは起こりうる」


アメリカによる占領政策は日本国家を丸ごと潰し全く新しい国家をつくることであると。


                         富岡幸一郎氏の文章の一部を引用
『米国の検閲が「眼に見えない戦争」すなわち日本の「文化」と「思想」にたいする殲滅戦である・・・。
なぜ、改めようとしないのか。それはこの「体制」によって「利得の構造」を保持してきた政治・教育・文化の“戦後利得者”たちが、今日に至るまでマスコミ、ジャーナリズムの主流を占めてきたからである。
戦後レジームにおいて左右の政治勢力として対立してきた“利得者”たちは、・・・経済効率主義の名目のもとに、今この国の破壊にいそしんでいるのだ。江藤淳は『閉された言語空間』においてこう指摘した。』


     少しばかり歳を取り過ぎたが江藤淳氏にもう一度触れてみよう


        


    

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