卒寿小論 440 名は体を表すか
江戸の狂歌師の名前(号)を読むだけで、なんとなく笑えてくる。
江戸天明期の三大狂歌師、朱楽菅江(あけらかんこう)唐衣橘州(からころもきっしゅう)大田南畝(おおたなんぽ)
名前からいろんなことを連想してそれだけで結構楽しめる。
大田南畝はその時々で号を変えている。寝惚(ねぼう)先生、四方赤良(よものあから)四方山人(よもさんじん)杏花園(きょうかえん)蜀山人(しょくさんじん)山手馬鹿人(やまてのばかひと)など。
号の中でも太田蜀山人がよく知られている。
享和元年(1801年)52歳の時に大坂銅座勤務になった時に銅の異名、蜀山居士にちなんで、蜀山人と号すようになった。
三大狂歌師ともに武家の出であるが、朱楽菅江は幕府御先手与力の下級武士、唐衣橘州は田安家の家臣、太田蜀山人は下級武士から支配勘定まで上り詰めた出世頭である。
今で言う財務省の事務次官クラスであろうか。
三大狂歌師の他の二人が50代でなくなっているが。蜀山人は75歳まで生きたことも出世に関係しているのかも。
たくはへもみな月はてて一文も けふはなごしのはらへだにせず 朱楽菅江
節季の払いどころか、夏越の払いさえできない。あっけらかんと過ごしていたのか。
涼しさはあたらし畳青簾 妻子の留守にひとりみる月 唐衣橘州
在原業平の「唐衣着つつなれにしつましあれば はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」を思い出してしまう。業平の生き方に憧れたのかな。
太田蜀山人(南畝)
世の中は三日見ぬ間に桜かな
世の中は色と酒とが敵(かたき)なり どうぞ敵にめぐりあいたい
世の中に 苦はなきものを 我とわが 楽を求めて 苦しみぞする
辞世の歌
昨日まで 人のことかと思いしが おれが死ぬのか それはたまらん
随筆を残す傍ら、狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩と幅広く執筆をしたのでその分野ごとに(号)を考えた節もある。
