卒寿小論 707 汝臣民には戻れないよ

「臣民」とは、大日本帝国憲法下では、天皇以外の国民を指す言葉で、
臣民は天皇に使える人民という意味。
敗戦後の日本国憲法において、「国民主権」になって、
臣民に代わって国民が使われるようになった。
日本国憲法で育った人たちにとっては、今更「臣民」には戻れない人の方が
多数を占めていると考える。
しかし、今回の選挙で、参政党が伸びてきたことはどうなんだろう、
国民から臣民へと逆行しても構わないという人がかなりるということであろうか。
それともそこまでの理解がなく、参政党に投票したのであろうか。
大いに注視したいところである。
国民でいくのか、臣民に逆行するのかの判断は、それぞれの政党や団体が
提言している憲法によって判断しなければならない。
大日本帝国憲法下では、人民は主権者である天皇の家臣(臣民)として位置づけられ、
臣民の権利は主権者の恩恵によって与えられたものであった。
それが「日本国憲法」によって、主権は国民にある。国民主権の国家に変わったことで、
臣民という言葉はなくなり、
国民・市民が定着し、自ら権利を主張できる立場に立った。
参政党の新日本憲法構想案では、天皇は元首として国を代表する。
天皇は、全国民のために「詔勅」を発する。
参考 「詔勅」=天皇の命令や意志を伝える公文書。
日本会議の新憲法の大綱では、日本国は立憲君主国であり、
天皇は日本国の元首である。当然、天皇主権への道を進みます。
自民党憲法草案では、第1条で、天皇は日本国元首である。といい、
天皇は国民のために国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命する。
「たてまえと本音」をうまく使い分けている感じである。
直ぐすぐには、国家(元首)主権には持っていけないが、ゆくゆくは
国家(元首)主権への道を進むであろうことは考えられる。
こう見てくると、自民党も参政党も日本会議も国家(元首)主権を目指した
憲法草案を掲げていることには間違いない。
中でも日本会議の新憲法の大綱が、一番すっきりと国家(元首)主権を打ち出している。
参政党は、あるいはどこかで、憲法構想案を訂正してくるかもと思わせるし、
自民党に至っては「たてまえと本音」を上手い具合に使い分けているなあと感じてしまう。
「たてまえと本音」をうまい具合に使い分けて、政権与党に居座ったことが、
大きな問題として今回の選挙にもろに現れたと考えられる。
憲法改正を本気で実施しないで、憲法解釈の変更で政権を担当してきたつけが、
今、自民党の問題として国民に問われている。
日本国民は、今こそ日本国憲法を学習しなおす時に来ている。
あわせて、大日本帝国憲法(明治憲法)・自民党憲法草案・参政党新日本憲法(構想案)・日本会議新憲法の大綱・日本共産党の日本人民共和国憲法(草案)を合わせ読み比べ学習しなければならない。
この学習は、大変で一般の国民には直ぐすぐには取り掛かれない。
そこで、「教育の出番」がまっている。戦後教育が「政治教育」と「宗教教育」を
避けてやらなかったことが、今の日本の問題をさらけ出している。
勿論、「政治教育」と「宗教教育」は、日本国憲法と教育基本法に則り、
中立・公正に確りと堂々と実践しなければならない。
教育の出番ですよ。日本を救うのは教育にまつより手はありません。
教師よ立ち上がれ。国民主権の国家を守れ。戦争のない平和な世界を目指そう。