syougoのブログ

余命ゼロ年の壁を超えてしまいました。転ばぬ先の杖を手にして、卒寿まではブログを頑張ってみたい。

「山のあなたの空遠く」に「幸い」を求めなくても
働いた後の休息が、至福の時であることを実感。
余命ゼロ年の暇つぶしに。我を忘れて夢中になれる
ブログに挑戦していこうと。

夢中になれることがあることに感謝。

卒寿小論 728 加齢による「気」の不足

藤 正悟

                                         


分かったようで、分からなかった、よく耳にする「気」の意味が、10月1日の朝、

お茶を飲んでいる時に、ストーンと腑に落ちた。


「気」とは、なにか。言葉の解説では理解できるのであるが、

実際には理解していなかった。

「気」とは、目に見えない、触れることのできないエネルギー、生命力、原動力、

生身の人間が持つエネルギー。言葉としては、元気、気力、気配、気象、大気など。

 

言葉の解釈としてはよく理解できるのであるが、身を持って真に理解しているかとなると

分からない。

10月は、誕生月で、来年の10月に卒寿を迎える。

この歳になって、やっと理解できたような気になった。

この歳になったから理解できたのかもしれない。

 

中村天風氏の一日一話の7月28日の「意志の力」を読み直してみた。

「やるぞ」という意志の力と「やらないぞ」という意志の力があると。


人生を幸福にするも不幸にするのも、心の統御にかかっている。

・・・心に対する絶対の統御力を有する意志力というものこそは、広い意味で、

人を美しく向上させる原動力だと言える』

意志の力の渙発(輝き現れ出ること)が不十分だと、そのできごとに対する

「心」の操縦が完全にできなくなり、反対にそのできごとに「心」がとらわれて、

正当な判断や断定が結局不可能となる』

 

「心に使われない」「利用されることから、活用する生き方に」が大切であるのか。

高齢者であっても、自分の思いで主体的に判断し決断し、行動をする。

そのように行動した結果、身心にどのような具体的変化が起こるのか。


そのことを身を持って体感した10月1日の朝の一杯のお茶であった。

来年の10月誕生月まで、加齢による「気」の不足を充実させて、

「卒寿万歳」といって迎えたい。


 死ぬ気でやってごらん、死なないから。やってみよう  正 悟

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