卒寿小論 763 色は噺 3 論語読みの(上方)

論語読みの論語知らずと言えば、「医者の不養生」を思い出す。
「ちょっと一杯のつもりで吞んで」・・・「分かっちゃいるけどやめられない」植木等(スーダラ節)
人生、なんと分かっちゃいるけどやめられないことの多いことか。
高等教育を受けて、高級官僚になって、政治家になっても「裏金」「不倫」などなどと。
「分かっちゃいるけどやめられない」 どんな道徳教育を受けても、
この人間の性(さが)というものは如何ともしがたい難問題である。
江戸の教育の中心は「論語」の学習であった。いくら論語を学習しても、
その成果が出ない。
江戸の中期から朱子学(物の理を知り、知識を深める)から、
陽明学派の「知行合一」(知ることと、行うことを一致させる)が台頭してくる。
それでも江戸の学問の中心は、徳川幕府推薦の儒学の中でも朱子学だったようで。
まあ、いつの世でも、道徳教育は人間の性(さが)に挑戦していく教育ですから、
「分かちゃいるけどやめられない」で、終わってしまいます。
「分かっちゃいるけどやめられない」という人間の性に挑戦したのが仏教です。
仏法を信仰してもその道に到達する人は、これまたまれなようで。
道徳は、言葉で理解させても行動にはなかなか結び付かない。
現代の学校教育における道徳教育も一考の余地があります。
大人たちが行動を通して、示すことが一番の教育のようですが、その大人たちが、
特に政治や教育、医者や企業等の幹部が、子どもの手本にならないことで、
マスコミに叩かれていますから。
人間の性(さが)の問題は、仏教に託すのがよいのではと思います。
この乱れた時代をどう立て直すか、以上のような視点から、「公明党」に
「分かっちゃいるけどやめられない」 問題に正面から立ち向かってもらいたいと念じています。
植木 等「スーダラ節」ANALOG RECORD MUSIC