syougoのブログ

余命ゼロ年の壁を超えてしまいました。転ばぬ先の杖を手にして、卒寿まではブログを頑張ってみたい。

「山のあなたの空遠く」に「幸い」を求めなくても
働いた後の休息が、至福の時であることを実感。
余命ゼロ年の暇つぶしに。我を忘れて夢中になれる
ブログに挑戦していこうと。

夢中になれることがあることに感謝。

卒寿小論 763 色は噺 3 論語読みの(上方)

藤 正悟

                            

論語読みの論語知らずと言えば、「医者の不養生」を思い出す。

「ちょっと一杯のつもりで吞んで」・・・「分かっちゃいるけどやめられない」植木等(スーダラ節)

 

人生、なんと分かっちゃいるけどやめられないことの多いことか。

高等教育を受けて、高級官僚になって、政治家になっても「裏金」「不倫」などなどと。


「分かっちゃいるけどやめられない」 どんな道徳教育を受けても、

この人間の性(さが)というものは如何ともしがたい難問題である。

 

江戸の教育の中心は「論語」の学習であった。いくら論語を学習しても、

その成果が出ない。

江戸の中期から朱子学(物の理を知り、知識を深める)から、

陽明学派の「知行合一」(知ることと、行うことを一致させる)が台頭してくる。

 

それでも江戸の学問の中心は、徳川幕府推薦の儒学の中でも朱子学だったようで。

 

まあ、いつの世でも、道徳教育は人間の性(さが)に挑戦していく教育ですから、

「分かちゃいるけどやめられない」で、終わってしまいます。

「分かっちゃいるけどやめられない」という人間の性に挑戦したのが仏教です。

仏法を信仰してもその道に到達する人は、これまたまれなようで。

 

道徳は、言葉で理解させても行動にはなかなか結び付かない。

現代の学校教育における道徳教育も一考の余地があります。


大人たちが行動を通して、示すことが一番の教育のようですが、その大人たちが、

特に政治や教育、医者や企業等の幹部が、子どもの手本にならないことで、

マスコミに叩かれていますから。


人間の性(さが)の問題は、仏教に託すのがよいのではと思います。

この乱れた時代をどう立て直すか、以上のような視点から、「公明党」に

「分かっちゃいるけどやめられない」 問題に正面から立ち向かってもらいたいと念じています。


植木 等「スーダラ節」ANALOG RECORD MUSIC

 死ぬ気でやってごらん、死なないから。やってみよう  正 悟

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