syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 115 時間の問題じゃのう <掌編28>

 「おばさん、いい養子をもろうたのう」
 「どこに、ちがうちがう、ありゃあ下宿人じゃ」
 「下宿はじめたんか」
 「上から順にみんな外に出っていって、部屋があいちしもうて、もったいねえじゃねえ
  か」
 「そりゃそうじゃ。だけんど時間の問題じゃのう」
 「なにが」
 「なにがちゅうて、わかるじゃろうが」
 「そうじゃのう、それを楽しみにしちょくわ。小石のとうとうよ。明日から豆腐2丁にし
  ておくれの」
 「わかった。おおきに」


 小石のとうとうは、腰を上げて(もう桜も散ってしもうた)と独り言を言いながら帰っていった。


 西林のかあかあは、味醂干の半乾きの干物や製造に使った用具の後片付けをして夕食の支度に取り掛かった。遠くに出て行った子どもたちや家での食べ量で精一杯であったが時に近所の人が「おばさん、わけてくりの」と言うと気前良く分けた。味の良さが評判を呼んで、かあかあ一人の手では手に負えなくなっていた。


 5時のサイレンが鳴ると少したって5女の汀子が役場勤めを終えて帰ってくる。汀子と一緒に夕食の支度が終わるころ高校生の清香と中学生の文江がほぼ同じころ帰ってくる。そして早い時は夕食に間に合う頃、下宿人の小学校の先生が帰ってくる。


 おとうは忙しい時は忙しいのであるが、暇なときは近くの碁仲間とひがな一日碁を打っている。
 京都の呉服商の3男で放蕩の末勘当の憂き目を負って、西林のかあかあの家で、小さい時からの門前の小僧で、京呉服の店を始めた。町に一軒しかないのでそれなりの繁盛をしていた。


 囲碁、将棋、撞球、テニス、卓球とどれをとっても上級の腕前で、町の人や町の学校に講師として呼ばれることが多かった。
 遊びも幅広くこなしたが、職業の方も、数学の教師、警察官、司法書士と幅広い体験をして、家庭の争い事や法律に関係する相談から数学の指導まですべて無料で関わっていた。


 このことが呉服商という商売に跳ね返って多くの人が西林呉服商店を利用してくれた。


「ただいま」と、さわやかな声で5女の汀子が役場から帰ってきた。
「かあさん、今夜はなんですか」
「小鯵のいいのがあったから、ぶえん汁に素麺を入れて、カニのもろうたのがあるからそれ
 を湯がいちょくれの」
「ハーイ」汀子はさわやかに夕食準備に取り掛かった。


 西林家では、地元の方言を使うのは母親だけで、父親は京都弁が抜けきれず、子どもたちは京都なまりと地元の方言が少し混じり、どちらかというと標準語に近い言葉を使っていた。不思議な言語環境が1男7女に影響してとてもユニークなコミュニケーションを展開していた。


 特に長男の上から6番目の西林和郎は最初の勤め先が大阪でついで福岡博多に転勤して大分のK町の方言を核に父親の京都弁、勤め先の大阪弁と博多弁とごっちゃになっていたが、今は博多弁が主力でK町の方言を旧友や故郷の人との交流の時に使っている。


 言葉の影響か持って生まれた性格のせいか、博多、大阪、K町の生活に違和感のない底抜けに明るい生き方を身に付けたようである。西林 和郎、家族や知人は、(カアボウ)と呼び、カアボウがそこに居るだけで場が明るくなった。


 「汀ちゃん、ぼつぼつお父さんを・・・」と、母の声がした。それだけで、いつものことだから汀子は歩いて3分もかからない碁仲間の根本さんの家に父を迎えに行くのであった。
いつの頃から、父を迎えに行くのが汀子の役目になったのか分からないが、小学校の低学年からだったと思う。かれこれ15,6年は過ぎたであろう。


 根本さんの玄関を入って左に庭を見ながら進むと縁側に出る。日当たりのよい縁側に座り込んで父と根本さんがゆったりと碁を打っている。縁に向かって右側に父が座り、左手の奥の方に根本さんが座っているのもいつもの通りであった。


 汀子は雰囲気を壊さないように小声で「お父さん」と呼ぶ。すると父はいつものように、「わかった。直ぐ帰るから、かえとっていいよ」と返事をする。
 その父の言葉を聞いて、汀子は父のすぐ後ろの縁側に腰を下ろして根本さんちの庭を眺めるのであった。


「汀子さん、わりいなあ。いつもご苦労さん」と、根本のおじさんが声をかけて、しばらくするとけりがつくのであろう二人は姿勢を正して一礼して碁石をしまって、父は腰を上げる。


 父と汀子が家に帰った時、家の中から母と妹たちと先生の笑い声がした。今日はみんな早かったのだ。夕食で全員がそろうのは珍しい。大概一人か二人が欠ける。一番欠けるのは先生であった。次が末っ子の中学生の文江であった。文江は陸上部に入っていたので遅くなることが多かった。
「どうしたの。みんな早かったのね」と、汀子と父が入ってきた。夕食の膳を囲んで二人の帰りを待っていた。


「先生がぶえん汁を知らなかったので教えていたところよ」と母が言った。ぶえん汁は、生の小魚を入れた味噌汁で西林のかあかあのぶえん汁は、これに素麺を入れた西林家独特の味になっていた。


 父の西林武雄と5女の汀子がお膳につくとすぐに清華と文江が給仕を始め準備が整った。みんな一斉に声をそろえて頂きますと明るい華やいだ雰囲気の夕食であった。


「兄さん、遠慮せんでカニ食べてよ」と7女の文江が言った。


 母が「文、なんちゅうこと言うんじゃ」とたしなめた。
文江が「時間の問題じゃ」と返答すると。


「文、今日、小石のとうとうにあったな」
「学校から帰りに小石のとうとうに捕まった」
「小石のとうとうも余計なことを言うもんじゃ」
「お母さん、時間の問題ですから」と、先生の大木 進が言ったので、みんなが大笑いをし
 て食事がすすんだ。

          

              大分県佐伯市蒲江町の綱切面

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