syougoのブログ

余命ゼロ年の壁を超えてしまいました。転ばぬ先の杖を手にして、卒寿まではブログを頑張ってみたい。

「山のあなたの空遠く」に「幸い」を求めなくても
働いた後の休息が、至福の時であることを実感。
余命ゼロ年の暇つぶしに。我を忘れて夢中になれる
ブログに挑戦していこうと。

夢中になれることがあることに感謝。

卒寿小論 611 自然の風土と人柄土地柄(宗麟)

藤 正悟


気候温暖で自然災害の少ない自然と風土が、

人柄土地柄に影響を与えたことは確かである。


大分県の南部はリアス式海岸、中部から北部にかけては、

火山地帯で温泉が出て、火山地帯独特の石仏文化が形成された。

九重火山地域を中心に、別府、由布院、湯の平、長湯と

湯量・泉質ともに世界に誇るものである。


豊の国大分は、豊後一国八郡と豊前の二郡から構成されている。

県北部から、国東(くにさき)、速見、大分、海部(あまべ)、

大野、直入、玖珠、日田と豊前の下毛(しもげ)、宇佐の構成だ。


海あり山あり温泉ありの地形は複雑に入り組んで各地の個性が異なった

それぞれの土地柄、人柄を持った地域である。

産物も地域ごとに特徴があり、それに着目した大分県一村一品の

取り組みは成功した一例であろう。


豊後大分は、広い平野を持たず、山と川で分断された

小さな土地の集まりで成り立っており、いわば陸の中の孤島の集合体で、

地域性が強く他地域との融合の難しい土地柄といわれている。


この土地柄は、「よそ者」意識が一つの特徴であろう。

「よそ者」意識は、長短を持っている。短所の方では相手を受け入れなく

間違えば村八分の起こりやすい傾向がある。短所は長所でもある。

競争心が強く粘り強く最後までやり通す。

義理と人情の生き方に支えられている。


そのような土地柄人柄の豊後大分へ1196年文治7年に

初代大友能直(よしなお)が入国してくる。

豊後大分国衆である豊後武士団と大友家が旨くいくはずがない。

大友家の歴史は豊後武士団との闘争の歴史であった。


初代、大友能直の入国いらい350年以上の年月をかけて、

豊後を統一し豊後大友を全盛期に完成させたのが

第21代 大友義鎮(よししげ・後の宗麟)である。


大友宗麟が成し遂げたレガシー(遺産)を教育、医療、

経済(南蛮貿易)の面から考えてみよう。

 

教育・医療・貿易の最先端を走った宗麟の仕事を

令和の今、やろうとしている政治が面白い。


教育と医療は、領民は全額無償。その金を南蛮貿易で稼ぎ出す。

戦のない国を目指した大友宗麟の本当の姿を見つめなおしたい。

宗麟は、芸能や花や庭園、蹴鞠を楽しみ、踊りを踊り、

          歌をうたった文化人である

       

             大友宗麟

 死ぬ気でやってごらん、死なないから。やってみよう  正 悟

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