syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 52 ガーネットな女  <掌編14>

 特急の寝台車の中で着物のよく似合うご婦人と同席した。


 珍しく寝台車は空いていてゆったりとした気分でそれでいて少しだけ華やいで心臓の動機が聞こえてくるような旅ができそうな予感がした。


 駅に着いたとき婦人は退屈そうに車窓の夜景に自分の姿を重ねて髪を手で軽くなでた。私は何気なしに週刊誌より眼をあげて婦人を見た。婦人の着物の衿の隙間からあざやかな痣であろうかキスマークであろうか私の目に留まった。私はごく自然に婦人に尋ねた。


 「宝石ですね。それとも・・・。」
 「ええっ。」と、一瞬顔を赤らめてとまどった様子であったが、すぐに落ち着きを取り戻して、「なにに見えます?」と、あっさりと切り返されてしまった。


 私はつまらない質問をしたものだと反省したがそれはそれでごく自然であったのだと自分を納得させた。かつて見たことのない美しい色と形をしていた。


「うつくしいですね。」
「はっ。」
「鮮やかな、ガーネットの宝石です。美しい。」
「どうも。」
「痣にまつわるエピソードが、さぞあったことでしょう。」
「そうですね。私の半生は、いやこれからも痣抜きには考えられそうにもないですわ。」


 女性が楽しい思い出にふけっている姿は優雅な夢の世界を醸し出す。婦人もしばらくの間夢の世界をさまよってから。
 「小学校の2年生の時です。男の子にいきなり痣をつねられて、それから痣を意識するようになりましたわ。今でもあの時の感触が首筋に残っています。」


 「その男の子、好きだったんですよ。」
 「それからは痣を他人には見られまいという努力の日々でした。」
 「そういうものですかね。宝石のように美しくても、他人が少しも妙に感じていない、かえってうらやましくさえ考えるようなことでも、当人にしてみれば悩みの種であったりするんですね。」


 「学生時代はそれほどでもなかったのですが、それでも、夏は困りましたわ。特別仕立ての洋服で、自分でデザインしたブラウスを注文したりしました。海水浴の記憶はありませんの。」


 「今はどうです。悩みはありませんか。」
 「ええ、愛おしいとさえ思っています。」
 「恋人に誤解なんぞされたりしませんでしたか。」
 「ありましたわ。」


 婦人はちょっと悲しげな、でも幸せそうな顔をして頬に手を当てて当時のことを思い出していました。


 「婚約したばかりの主人と二人で登山をしたことがありました。良いお天気でした。頂上に着いたときは全身じっとりと汗ばんで、彼は上着を脱ぎ、私はブラウスのボタンを上から二つはずして、帽子で体に風を送りいれた時です。いきなり、彼が私の頬を殴ったの、私は何故殴られたのか理由が分からずただ茫然と澄み切った秋空に浮かぶ雲を眺めて涙を流しました。」


 彼は背を向けたまま震える声で呟くように言いました。
 「君はそんな女だったのか。」
 私は黙っていました。
 「首のキスマークはどうした。」
 私はその意味がよくわかりませんでした。が、首という言葉ですぐに痣のことだと分かりました。
 「これ痣よ。」と言いました。
 彼はいきなり振り向いて「ごめん。」と、優しく声をかけて、・・・


 「ごちそうさま。そして、その痣が一段と輝いたのですね。」
 「今夜はどうしたのでしょうね。おしゃべりしすぎましたわ。ごめんなさい。」
 「いえいえ、とても楽しいひと時でした。ありがとう。」


 ほんのちょっとしたきっかけから、思わぬ女の身の上話を聞いたが、人間、他人から見れば何でもないことが、本人にとっては命を左右するような重大な意味を持っていることだってあるのだ。また、自分一人で悩んでいることも他人から見れば贅沢な悩みでしかないときもある。


 私は寝台車のベットに横になったが頭がさえて眠れそうになかった。ガーネットの君はもう眠ったのであろうか。男の子につねられ、恋人に殴られた話を聞くと、彼女の少し恥ずかしい、少し悲しい、でも、とっても幸せな生活が想像された。


 これからはもうつねられることも殴られることも恐らくないだろう。ガーネットの鮮やかさが彼女の幸せのバロメータになることであろう。


 ガーネット パワーストン(1月の誕生石)真実、友愛、忠実、勝利 「実りの象徴」「不変の愛」に幸あれと


          

              柘榴 季節の花300より
              花言葉は「円熟した優雅さ」。

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