卒寿小論 433 求めて笑うものではないが
歳を取りすぎたのかな、近年笑いが少なくなった。
小学生時代は頓知話で、中・高生時代は落語・漫才で結構笑っていた。近ごろ笑いが少なくなった。年とともに生活環境の変化が笑いを少なくしているようである。
一人の生活では、積極的に笑いを求めていかないと笑う機会が少ない。
と、思っていたら、「記憶にございます」「欲に負けた」で、つい笑ってしまった。
笑いは求めるものではなく、生活の中で自然に笑ってしまうものであろう。とは言うもののそうそう笑える場面に出逢うわけではない。そこで笑いを求めていろんなことをやっている。
その手始めに江戸小咄を読み始めた。が、以前は笑っていた小咄もこの歳になってみると笑えない小咄になっている。
この歳になって、笑える小咄をこれから探していこう。次の小咄は今でもつい笑ってしまう。
中 姿 勢
いろ男下女をくどき、
「手まえはどうも可愛くてならぬ」と言えば、
「ナニうそばっかり、お前のようなよい男が、わたしのような中ぐらいな者に」
これは素直に笑えました。明るい素直な笑いで、江戸小咄には珍しい笑いです。
江戸小咄には、「愚か者」を材料にした笑いが多い。笑いの質としては、失笑、苦笑、
一笑、嘲笑傾向の笑いが多いようである。が、
「中姿勢」は、素直に好意的に笑える明るい笑いです。好きですね。
いずこも同じ
すみ田川のほとりにかすかなる庵をむすび、窓の机にもたれ、書物など見ているていを見て、あのようにして暮らしたら、浮世のこともわすれ、さぞおもしろいことであろうと、うらやみて見ていけるに、閑居の人縁先へずっと出て、大あくびして。
「アア、金がほしいナア」
この小咄は、令和の「記憶にございます」「欲にまけた」に通じるはなしである。人間の持つ欲望を素直に吐露しているところが共感を呼ぶ。
とても馬鹿馬鹿しいけれども学生時代から現代にいたるまで好意的に受け入れている笑い。
星 取 竿
さる息子、月夜に長竿をもって空をうつ。親父見て、
「何をする」
「星をうつ」
親父ぬからぬかおで・
「下からは届くまい。屋根へあがれ」
この親子関係は理屈抜きに笑ってしまう。
これを枕に後々落語の中で使われるようになった。
夏の夜、寺の境内で長竿を天に向かってうつ小坊主を見て、
「これ、珍ねんや。何をしている」
「和尚様、あまりにも星がきれいなので取ろうと思いまして」
「ばかな、星を取るなら屋根へ上がれ」
この枕がきっかけで私は落語好きになった。何とも言えない良い人間関係です。
馬鹿馬鹿しいけれども、心がふっと明るくなるような、江戸小咄や落語を求めて笑いを楽しんでいこう。