卒寿小論 766 色は噺 論より証拠(江戸)
江戸時代の論より証拠は、「藁人形」が描かれたり、論より証拠、藁人形などと
カルタの読み手が、言葉を付けくわえたりした。「丑の刻参(うしのときまいり)という
呪詛(じゅそ)の藁人形は第一の証拠であった。
昔も今も「自白」が、裁判の決め手になっていたことを考えると、
特に拷問による自白などは、冤罪をつくるに事欠かない時代であったろう。
現代は科学的な証拠が主流になって、「仮説、実験、論より証拠」の考え方に基づいて、
具体的な証拠をあげることが主役ではあるが、具体的な物的証拠のない事件が山ほどある。
中には、意図的に証拠をかくしたり、すり替えたりして裁判に臨む事件もある。
冤罪は、永遠の課題である。なかなか難しい。
「疑わしきは罰する」のか「疑わしきは罰せない」のか。それが問題だ。
事件関係のことだけではなく、「政治」に関しても「仮説、実験、論より証拠」
の考え方が重要になってくる。
今の政治は、「仮説」抜きの言葉だけが独り歩きをしていて、その仮説に対して、
どのような行動を取るのが最適なのか予想できない。
「私の代で、拉致問題のけじめをつける」と言っても、国民には理解できない。
どのような仮説を立て、どのような行動を起こすのかが、皆目分からないので、
仮説と実験(行動)を具体的に表現していない時は、その結果についても反省さえもできない。
多分このまま時だけが過ぎていくことだろう。
「冷静かつ毅然とした態度で臨む」と言っても、どうすることが冷静で毅然な態度か、
その結果、どのような成果を得ることができたのか。全く見当がつかない。
これも時の流れに解決を任せるのであろう。
これからの政治は、「仮説、実験、論より証拠」の時代になる。
その仮説にあたるのが、「憲法」である。
日本国憲法、大日本国憲法、自民党憲法草案、参政党新日本憲法構想案、
日本会議新憲法の大綱、日本人民共和国憲法草案(共産党)
これらの憲法や憲法草案が、日本の国づくりに対する仮説である。
この仮説に対して、内閣総理大臣や政治家、加えて、学者や評論家、
そして国民はどう行動を起こしているのか。
その結果、日本の国はどのような国になっていくのか、またなっているのか。
この仮説は、非常に重要である。日本国家の在り方(国家体制)を指し示している。
本当に、あなたはその仮説が良いと信じて、行動をしているのか。
二つの憲法と四つの憲法草案を丁寧に比較検討しながら、読みぬくだけで、
国家の在り方や自分の生き方がはっきりとしてくるのが面白い。
これが、私の89歳からの暇つぶしであり、私の基礎基本の学習内容である。
深く読めば、政治家や政治評論家のやろうとしていることが
手に取るように理解できて面白い。