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余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 223 日本会議の活動家の略歴を少しだけ(教育 7)

           きょういくの姿7 日本会議の活動家の略歴を少しだけ


 事務総長として組織実務を取り仕切る椛島有三政策委員として理論構築などを担う百地章(日本大学教授)、伊藤哲夫(政治評論家)、高橋史朗(明星大学特別教授)の各氏。伊藤氏は安倍首相のブレーンに数えられ、現在は首相補佐官に就く衛藤晟一参院議員もかつては生学連の活動家だった。著書、「米ソのアジア戦略と大東亜戦争」明成社、2007年など。 


 椛島有三=1945年(昭和20年)佐賀県に生まれ、長崎大学へ進学、中退、日本青年協議会を結成。学生時代に成長の家を信仰。学園正常化を目指して行動を起こした際、全学連のリンチにあって「全学連打倒を決意」し、長崎大学学生協議会(長大学協)を結成してその後社会運動家としての道を歩む。


 百地 章=ももちあきら、1946年(昭和21年)静岡県に生まれる。静岡大学人文学部法学科卒、京都大学大学院法学研究科修士課程修了。静岡大学では「生長の家学生会全国総連合」で民族派学生運動に関与。谷口雅春先生を学ぶ会機関誌「谷口雅春先生を学ぶ」の編集人なども務めた。「21世紀の日本と憲法」有識者懇談会(民間憲法臨調)事務局長。安倍晋三のブレーンの一人。


 伊藤哲夫=1947年(昭和22年)新潟県に生まれる。新潟大学人文学部卒業。1984年、「日本政策研究センター」を設立。日本会議常任理事を務める。「保守革命」を目指し、特に、歴史認識、従軍慰安婦、選択的夫婦別姓反対、反ジェンダーフリーを重要な論点であるとしている。憲法改正を主張。安倍晋三のブレーンの一人。


 高橋史朗=1950年(昭和25年)兵庫県に生まれる。早稲田大学第一文学部人文専修卒。1978年3月、早稲田大学大学院文学研究科教育学専攻修士課程修了。
日本教職員組合(日教組)を敵視し、日教組が中心となった学校教育に憂慮を抱き、日教組が否定的に捉えていた戦前や祖父母世代の(=教育勅語に基づく)教育や文化を再評価している。


 衛藤晟一=1947年(昭和22年)大分県に生まれる。大分大学経済学部に在学中に九州学生自治体連絡協議会(のちの全国学生自治体連絡協議会)を結成自身も大分大学で保守派の「学生協議会」を率いた。朝日新聞によれば、全日本学生自治会総連合打倒を掲げた学園正常化運動であった。
 大分市議会議員、大分県議会議員を経て、1990年第39回衆議院議員総選挙に初当選。村山富市の首班指名に賛意を表明して決着をつけた。


 彼らに共通して言えることは、正義感が強く大きな力に対して知恵を出し切って対抗していく気力を持っているということ。それに行動力と集団を引っ張て行く方法を身につけいる。


 何といっても「まじめ」に「粘り強く」学生時代から50年以上ぶれることなく活動してきたことは学ぶべきである。


 政治家や組合活動家は彼らの行動に見習うべきことが多かろう。


 問題は、戦後すぐの環境と令和の今の時代の社会環境の違いをどう受け止めるか。国の在り方、憲法や教育の問題がどの方向に向かっていくべきなのか。


 具体的な憲法改正の内容とすでに改正された「教育基本法」並びに「教育三法」の旧法との比較検討を通して、国家体制のありかたを学習していく。


 何の意図もない。ただ調べて私なりに学習を深めて納得したいだけのことである。
   まあ、100年時代の私の暇つぶしを最後まで楽しんで生きていこうと。

       

         アイデアに生きる  油屋熊八  村上秀夫著より
昨日の大名、今日の乞食は株界の常識。「油屋将軍」と呼ばれていた時代に手に入れた御殿のような家での生活も、今日が最後だと思うと、熊八の胸に一抹の淋しさがよぎった。

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