卒寿小論 405 断捨離の勧めは兼好か?(徒然草8)
兼好法師は本当にこう考えていたのであろうか。
わざわざ「賢き人の富めるは稀なり」と書いたことは、本当に「稀」であるならば話題にする必要もないと考えるが。
「人はおのれをつづまやかしに、奢(おご)りを退(しりぞ)けて,財を持たず、世をむさぼらざらんぞいみじかるべき、賢き人の富めるは稀なり。」(第18段)
「人は、わが身をつましく簡素に持して、ぜいたくをしりぞけ、財宝を所有せず、俗世間の利欲をむやみにほしがらないようなのこそが、りっぱだといえよう。昔から賢人で富裕といった人は、めったにないものである。」
鎌倉幕府最晩年の吉田兼好は、貴族社会と武家社会の空気を十分に感じて生きた鎌倉末期の文化人である。
平安時代の社会を現実には知らないだけに、周りの人からの体験談や資料から平安の貴族社会を思いめぐらして、鎌倉の武士の生きざまと貴族たちの暮らしぶりを想像することによって、彼の考えや思いが形成されていったと推測できる。
「昔から賢人で富裕といった人は、めったにないものである。」と、述べた兼好の本音の部分は関心のあるところである。
鎌倉の権力者集団に気を使いながら、昔よき平安貴族のあこがれが彼なりの思想として表現されたのではないかと思っている。
徒然草を最終段まで読み通して、兼好の思想や暮らしぶりを探ってみよう。
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