syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

2022年6月のブログ記事

  • 卒寿小論 10 俺に似よ <川柳>

        俺に似よ俺に似るなと子を思い  麻生路郎  親として気になるところだ。俺のような生き方をすることはない。と、思いながらも俺のように生きろと思うこともある。   切ない。子を思う親の気持ちは万国共通である。子どもの健康を願い多くの友人たちに恵まれて平穏無事な一生を送って欲しいと願っている。 ... 続きをみる

  • 卒寿小論 9 鮎にひき <川柳>

        鮎二ひき暫く焼かず皿の上   前田雀郎  妻の妹が日本画をやっていて、毎年の展示会に作品を出品していた。 毎年作品展の鑑賞に参加するのが年中行事になっていた。  私は用事を思い出して展示会場を出て、廊下から電話を掛けた。用事を済ませて展示場に戻ろうとしたら、歳の頃なら56・7という背広姿の... 続きをみる

  • 卒寿小論 8 酒とろり身も気も <川柳>

        酒とろり身も気もとろり骨もまた  川上三太郎            いいねえ。それでいいんだよ。骨まで酔って人生を終える。  しかし、私にはできない。体質的なのか、性格的なのか抑制が効いてすぐにストップをかけてしまう。それでも若い時には身も気もとろりとなるまで飲んだ。 年齢と共に節制の利い... 続きをみる

  • 卒寿小論 7 味噌汁の匂い <川柳>

        味噌汁の匂い十歩の庭に風   村田鯛坊(改号して周魚)                2022年(令和4年)の庭のつつじ  何の説明もいらない一読明快な句である。  敗戦後の日本は貧しかった。が、貧しいという意識はなかった。日本人皆が食うのに精いっぱいであった。貧富の格差などこれっぽっちも... 続きをみる

  • 卒寿小論 6 散る桜残る桜も <俳句 6>

        散る桜 残る桜も 散る桜   良寛和尚  私を認めてくれ、私を引き上げてくれた先輩諸氏がつぎつぎと散っていった。もう辛口の助言をしてくれる人は私の周りにはいなくなった。 何とも寂しいことである。 やがて散っていく身ではあるが、最後まで自分らしい「中くらいな良い加減な生活」を中くらいに楽しん... 続きをみる

  • 卒寿小論 5 めでたさも中くらいなり <俳句 5>

        めでたさも 中くらいなり おらが春  一茶  実感ですね。私の生き方が常に「中くらい」で、何事にもいい加減(良い加減)なところがあったようで、とことんのめり込んでいくタイップではない。  酒を飲むにしても良い加減なところでやめることができる。だからアル中にもならず毎夜何十年と飲み続けること... 続きをみる

  • 卒寿小論 4 山路来て何やら <俳句 4>

     地方の中学校まで荒れ狂った時代。4月の初めての挨拶で「レイモンド・チャンドラー」の「たくましくなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」の言葉を引用してあいさつをした。  始業式が終わって、生徒の一群が校長室に押し寄せて来た。 「校長先生。あの話の続きをもっと聞かして。」と... 続きをみる

  • 卒寿小論 3 夏河を超すうれしさよ <俳句 3>

     学生時代友人と4人で別府市街地から夏山の登山をした。別府市街地から由布山まではかなりの距離であったが少しもきついとは思わず一気に由布山頂まで歩いた。  由布山頂についてウイスキーの水割りで乾杯をした。  4人とも学校を出るとすぐに大分県内の学校に就職した。  これほどの距離を一気に歩いたのは後に... 続きをみる

  • 卒寿小論 2 人殺す我かも知らず <俳句 2>

     高校生時代は、夏休みになると毎日朝から市の中央公民館の地下1階に設置されていた市立図書館に通ったものである。  家が狭くて居り場がないので図書館を利用していただけのことである。  図書館では受験勉強をした記憶はない。図書館にある面白そうな本を手当たり次第に読んでいった。この体験が読書習慣になって... 続きをみる

  • 卒寿小論 1 浜までは海女も蓑着る <俳句 1>

     1972年(昭和47年)35歳の夏 その日はどんよりと曇った一日であった。  昭和の時代の教員は、夏季休業中は自宅研修という名目で自分の意志で自由に過ごすことができた。よき時代であった。  県下で初めて、学校現場での「ことばの教室」を開設して言語障害を持つ子どもの訓練に取り組んでいた。障害を持つ... 続きをみる