syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 222 日本会議の会長さんは (教育 6)

          きょういくの姿6 日本会議の会長さんは


 初代会長はワコール会長だった塚本幸一氏。2代目会長は石川島播磨重工業会長だった稲葉興作氏。3代目会長は元最高裁長官の三好達氏。現会長は杏林大学名誉教授の田久保忠衛氏。


  参考資料


 組織運営の中枢を担うのは新興宗教団体・生長の家に出自を持つ元活動家の面々である。(資料 ジャーナリスト青木理)


 日本会議の運動の方向を見るには、組織実務を取り仕切る事務総長の椛島有三氏の発言を参考にするのがよい。(資料AERA2016年07月12日号)


< 今日の日本は、祭政一致の日本の国家哲学を政教分離の思想によって否定する思想風潮がある。(略)政教分離思想によって、祭政一致の国家哲学を否定することは(略)、まさに歴史を冒涜する愚挙と言わねばならない >(同誌90年8月号)


< 天皇が国民に政治を委任されてきたというのが日本の政治システムであり(略)、主権がどちらにあるかとの西洋的二者択一論を無造作に導入すれば、日本の政治システムは解体する。現憲法の国民主権思想はこの一点において否定されなければならない >(同誌93年4月号)



 頭の回転の鈍い私にはよく分からないことが多い。祭政一致の国家哲学の否定は歴史の冒涜で、現憲法の国民主権思想は否定されなければならない。これからの私の学習課題、祭政一致と国民主権の現憲法についての学習を深めること。それが国民生活とどうつながっているのか。


 生学連の元活動家で、現在は評論家、作家として幅広く活動する鈴木邦男氏はこう断言した。
 「日本会議の大もとは、生長の家だと僕も思います」


 戦前に谷口雅春が創始した生長の家は、右派色の強い新興宗教として知られ、戦中は軍部の戦争遂行を賛美して教勢を拡大した。
 戦後もその姿勢は長く変わらず、60年代には生長の家政治連合(生政連)を結成して政界進出を果たす一方、右派の学生組織として生長の家学生会全国総連合(生学連)も立ち上げ、全国の大学を席巻した全共闘運動に対峙させた。(AERA 2016年7月18日号)


 ここに集った元活動家がいま、日本会議の中枢を牛耳っている。
 事務総長として組織実務を取り仕切る椛島有三氏。政策委員として理論構築などを担う百地章(日本大学教授)、伊藤哲夫(政治評論家)、高橋史朗(明星大学特別教授)の各氏。伊藤氏は安倍首相のブレーンに数えられ、現在は首相補佐官に就く衛藤晟一参院議員もかつては生学連の活動家だった。(AERA編集部 2016年07月12日)


 これからは「人」に焦点を当てて、彼らの思想と行動に注目していく。


 事務総長 椛島有三、 日本大学教授 百地 章、 政治評論家 伊藤哲夫、 明星大学特別教授 高橋史朗、 首相補佐官 衛藤晟一参院議員


 以上の方々については彼らの発言と行動を追ってみよう。


 生学連(生長の家学生会全国総連合)の彼らは今、何を考えどう行動しているのかに興味を惹かれる。


          先ずは、活動家の面々を少しずつ調べていこう。
 

           

アイデアに生きる  油屋熊八  村上秀夫著より   
油屋熊八は文久3年、亥の歳の7月16日、愛媛県西宇和郡三崎字佐田部落の、ささやかな
米問屋「あぶら屋」・油屋正輔の長男として生まれた。                
豪放磊落・青年実業家・株で大敗  アメリカへ渡りクリスチャンの洗礼を受ける。 
   明治25年、30歳で大坂に・・・株界の「油屋将軍」の名を馳せた。             


×

非ログインユーザーとして返信する