卒寿小論 417 20数年ぶりの湯布院の旅
久しぶりに娘夫婦に誘われて湯布院の一泊旅をした。
妻が元気な時は、毎週週末は湯布院に出かけ温泉に入り夕食を済ませての日帰りの旅、月に一度は一泊をして由布の自然を楽しんだ。
妻に娘夫婦に孫二人で宿泊したホテルに着いた。
20数年前のその歳は薪能の舞台が新設された年で庭の風景の中にひときわ目立っていた。今回は舞台を取り囲むように木々が覆いかぶさり20数年の月日を実感した。
湯布院の温泉は相変わらず豊富で優しい泉質である。
妻の介護度が進行してからは、自宅で私との生活に満足をしていた。思い出が多いのでその話をするだけで数年はかかったようである。
ベット生活の中で、思い出を楽しみ、歌を歌い、リハビリ体操をしたり、美味いもの食べたり私や妻の自作のショートショート、私の俳句、妻の短歌とエッセーなどを朗読して鑑賞した。
その合間を縫って、訪問介護や訪問入浴が入りとても充実した日々をすごした。
妻が旅立って、5か月が過ぎようとしている。娘夫婦は私のことを心配して度々帰ってくる。
今年は、とても良い湯布院の旅ができた。心にけりもついたようだ。多分これが最後の湯布院の旅になるだろう・・・
たくさんの資料はあるのだが、妻との思い出はまだ描ける状態にない。一生かけないかもしれない。それも良し。思っても考えてもどうにもならないことについては思わない考えないことにしている。
歳を重ねてくると思っても考えてもしようのないことは、パスできるようになってきた。
さてと、88歳、どうなることか。一応、卒寿小論90歳を区切りと考えて生きている。
卒寿を超えればおまけの人生だな。娘夫婦は鶴見山に出かけた。私は湯布院一泊の旅で少しばかり疲れたので誘いを断って家でモカを飲んでいる。