syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 169 昭和日曜ラジオ寄せ <漫文 2>

 敗戦後の日本はラジオと映画の全盛期を迎えます


「日曜の夜のひと時、流れくる歌の調べは思い出の歌新しい歌、皆様の希望を載せて今宵輝く明星は田端義雄さん 帰り船」


 こんな調子のアナウンサーのおしゃべりだったような気がします。


 歌の後、8時から漫才と落語のお笑いが30分だったかな。


 昭和21年、NHKのど自慢大会でかえり船の田端義男さんが初代チャンピオンになりました。歌と寄席の中継は敗戦の日本に笑いと勇気を送りました。


 また、ラジオドラマも大変な人気で「君の名は」の放送時間帯、銭湯はからっぽの状態で、家族みんなでラジオに聞き入りました。
「君の名は」だけではなく、レベルの高い放送劇が多く流れて、当時の声優は人気者で声優にあこがれて放送劇団や演劇への道に進んだ人も多くいました。


 別府の街は、映画館と芝居小屋が立ち並び、公園では木下サーカスや見世物小屋、そして、パチンコやストリップ劇場と歓楽のあふれる場所でした。
 日本全国からお客がやってきて敗戦のうっ憤を晴らすように大賑わいをしていました。


 合わせて、暴力団も根を張った活動をして、抗争事件もたびたび発生しました。


 日曜日になると街の映画館をはしごして回りました。二本立てが基本で中には三本立ての上映もありました。


 森繁久彌の社長漫遊記や嵐勘十郎の鞍馬天狗などが記憶に残っています。


          70年程昔の中学生時代の思い出です。


       

×

非ログインユーザーとして返信する