卒寿小論 168 落研崩れ <漫文 1>
学生時代に柳亭痴楽の「綴り方教室」を聞いて、馬鹿馬鹿しいことに関心を持つようになりました。
まだ地方の学園には落研なるものがなかった時代に2・3人の落語好きが居酒屋で馬鹿話を肴に酒を飲んでいた昭和30年代の初め頃。
落研があればきっと入っていたであろうと考えます。まあそんな意味で自分のことを「落研崩れ」と自称しています。
ちょっとしたことで、ちょっとした場でつい口から言葉が独り歩きをしてしまい困っています。
わたくし、生まれも育ちも湯の町別府でございます。鉄輪(かんなわ)の地獄で産湯を浴びて、まあ熱いの熱くないのとそれ以来ぬるま湯大好き人間になりました。
姓は藤、名は正悟。藤 正悟と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。
山の彼方(あなた)の空と遠く 幸い住むとひとのいう
ああ われひとと尋(と)めゆきて 涙さしぐみ かえりきぬ
山の彼方になお遠く 幸い住むと人のいう
『パーなるおのこと思いきや 通津浦々に隠れなき好色男の№1 藤正悟 と知りました。聞くと見るとは大違い役者見るようないい男、とまではいかねどもでんと座った貫禄は、昭和65年には文化勲章受けるぞと哀れに儚く思いつつ、おへそをぼりぼり掻きました。』
『 』は(痴楽綴り方教室の一部引用)
国破れて昭和も遠くなりにけり、明治はさらに遠くなり。
我幼少のころより大地を踏みしめることかなわず。
祖父母や父母に愛されて、我が家と外車と大学を遊び場として過ごしてきた友人と末は博士か大臣かと『朝は朝星,夜は夜星、昼は梅干しを頂いてああ酸っぱいは成功のもとと日夜涙ぐましき努力を続けてまいりました。』
しかれども、夢ははかなく潰れさり、我と友は地方公務員と市議会議員とになりにけり。
彼曰く、人の金は思い切って好きなように使うべし、お前も七難しく考えずに自腹を肥やして散っていけ。
(エーなんとなんと)
別府温泉 駅前足湯