卒寿小論 418 コロナ禍で見た必要な無駄とそうでない無駄
コロナ禍でいろいろな無駄を発見した。
車のハンドルのように無くては危険な無駄とそうでない無くした方が経済的効果的になる無駄がよく見えた。
教育のネットによる授業風景を見て内容によっては、もっとこれを取り入れたほうが良いと思った点と教授と仲間と触れ合いながらの対面授業を取り入れなければならない面も確認できた。
特に、大学の講義風景を見ていると「ネット授業」と「対面授業」のバランスを考えてみるのも面白い。
技術や人間関係を養成る科目では、当然施設設備を活用した「対面授業」が中心になる。
一方、自学自習でも効果の上がる科目は「ネット授業」をおおくすればよい。
そんなことを考えていると高等教育の在り方そのものに疑問を持った。
高等学校、高等専門学校、大学、大学院の全体をまとめて再検討する時期に来ているような気がする。
無駄をなくし、教育効果を上げるシステムにしなければならない。
この高等教育制度を変えれば義務教育の在り方も自然と変わるのでは。
教育以外にも多くの必要でない無駄を発見した。必要のない無駄は、その多くが補助金を受けるためのものが多いようであった。
本当に必要なことに補助金をたっぷりと使うべきではなかろうか。
コロナ禍で、政治の取り組むべき方向がよく分ったし、政治そのものが無駄を多くして税金を自分勝手に都合よく使っている面も見えた。
それに「大学卒」という肩書はいるのかな。もうそのようなものがいらない社会になってきたような気がする。
東京大学法学部という肩書をもってもあのレベルですから。