syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 329 だましのテクニック

  橋 銭


 新大橋へ三十ばかりの女、いそがしげに橋銭一文なげて通るを、番人呼び返して、一文不足という。
「イエわたしは橋のまん中から身を投げます」      (売言葉)


  万 年


「亀は万年というが、うそだ。この亀はかったばかりだが、ゆうべ死んだ。昔の人の言うことも、あてにはならぬ」
「イヤゆうべが万年目かも知れぬ」           (再成餅)


  貸し雪隠


不忍弁財天の開帳に参詣群衆、この島はおいそれと小便のならぬ不自由、そこを見込んで茶屋の裏を借りて貸し雪隠、わけて婦人方の用が足り、一人前五文ずつでおびただしい銭をもうけ。
<これはよい思いつき、おれも貸し雪隠>と思い立った男、女房がもはや一軒あるからはやるわけがないと、とめるのも聞かずに建てたが、その日から大入り、今まではやった隣の雪隠へ行く人はひとりもなく、こっちばかりの繁盛、女房不審がり、
「どうして、こっちばかりへ人が来ます」
「知れたことさ、隣の雪隠へは一日おれがはいっている」 (鹿子餅)


  禁 酒


「禁酒をしたというが、ほんとか」
「オオ、五年が間禁酒だ」
「それは結構だが、同じことなら十年にして昼ばかり呑めばいい」といえば、すこし考えて、
「いっそ二十年にして夜昼呑もう」          (廓寿賀書)


 いろんな論法があって面白い。今政治家の間では「ご飯論法」で、ごまかすのが流行っているようだ。
「ご飯食べたか」という質問に「ご飯」の意味を故意に狭く解釈して、パンは食べたにもかかわらず「ご飯(米飯)は、食べてない」と答える。


「酒は飲んだか」いえ飲んでない。ビールやワインを飲んでいるにも関わらず。
「金はもらったか」いえもらっていません。券や品物はもらっているのに。


 いろんな論法があって、誤魔化しのテクニックを研究するには事欠かない。面白い。


 中でも、分母の数字を勝手に変えて割合で話を進めていくのは騙されやすい。支持率何パーセントといった場合、分母は何かを考えてみよう。


          


                 

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