syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 120  誘 惑  <掌編29>

「今でも私は信じられないんだよ。」
「先生、ごめんなさい。自分でもどうしてこうなったのか分からないんです。」


「学生時代からずっと君を見守っていた。真面目で、がんばり屋で、明るく正義感の強い自慢の生徒だった。そのままの君が教師になって君の成長を一番の楽しみにしていた。」
「ごめんなさい。不正なお金を受け取ったのは生まれて初めてなんです。」


「私も責任を感じている。君を教育委員会の指導主事に推薦したのは私だからね。人事と金をにぎる立場に立った時は細心の注意を払うことを確りと君に言っておかなかったことを悔やんでいるよ。」


 マスターの陽一がコーヒーとホットサンドを運んできた。コーヒーの香りが少しだけ二人の緊張をほぐしてくれた。


「芳雄君。100年時代の人生だ。これからだよ。新しい生き方を探ろう。」
「ありがとうございます。不安で不安でしようがありません。元に戻れるのか。」


 大木 進はこーひーを飲んだ。


「ここのコーヒーとホットサンドは美味いんだ。・・・エリートコースに乗るといろいろな誘惑が待ち構えている。誘惑も一つの罠かも知れん。」
「そういえば思い当たるふしがあります。お前人事に来いと誘ってくれた先輩の一言が、トカゲのしっぽになるための誘いだったのかもしれません。」


「組織が大きくなるとトカゲの尻尾を複数用意しているものだ。これが日本式組織防衛かも知れんなあ。」
「でも、誘惑に負けたのは私です。この私のどこかに立身出世欲という野心があったんだと思います。」
「芳雄君。自分を責めなくていい。私だって、芳雄君の立場に置かれたらきっと君と同じことしたと思う。君を責める資格はほとんどの人にはないんだ。問題はこれからをどう生きるかだ。」
「先生。ありがとうございます。生きる力が出てきました。」


携帯電話の着信音が鳴って芳雄が出た。


「すみません。野村隆史君からの電話です。・・・明日の朝の7時46分発のソニックに乗る予定をしている。あした乗ってからメールいれるから、ちょっと待って、大木先生と代わるから・・・」


「もしもしタックン。大木です。」
「先生、懐かしい。一度に中学生に引き戻されました。」


「芳雄君から聞いたんだが、支社を三つ持つ会社の社長になっているそうだね。芳雄君を頼むよ。」
「はい。高齢者施設や保育所・幼稚園、それに学校を対象に給食を提供する会社です。ヨッチャンには、本社の厨房に入ってもらいます。後々には私の片腕として経営に参加してもらう腹積もりです。」
「将来性のあるいい仕事だ。そのうち、家内を連れて会社訪問をするよ。頼んだぞ。」
「先生。大丈夫です。確りと見守ります。」


 大木 進と藤村芳雄は博多での再会を約束して別れた。


                         

                            季節の花300より

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