卒寿小論 197 雨だれ落(おつ)る窓の淋(さび)しさ (前句)
元禄 前句付け「9」 雨だれ落(おつ)る窓の淋(さび)しさ
地女(ぢおんな)と遊女の文(ふみ)の部分(ぶわけ)せん 雨だれ落(おつ)る窓の淋(さび)しさ
参考 地女(ぢおんな)=遊女に対して素人女をいう。土地の女と流れの女の意。部分け=部を立てて分類すること。例 遊女の部、素人女の部とか。
五月雨の一夜、光源氏や頭中将(とうのちゅうじょう)たちが女性の品評をしたように
雨だれの音を聞きながらひとり過ごすのは、もて過ぎた男だけにたまらなく淋しいことである。
江戸時代からしばらくの間は、「色男金と力はなかりけり」と言うのが相場であった。いつの頃からか、「色男金と力を持て余し」になってきたようだ。
いつの時代にももて過ぎた美男が居るものである。
私の周りにも「もて過ぎた美男」が多くいた。中には妻子の有る身で若い女性と駆け落ちをして、街中の評判になった。
恋は一種の熱病で一過性のことが多い。一生醒めなければそれもまた良しとしようが、割と早く醒めるようである。
中条きよしの「ダンチョネ子守歌」はその辺の事情を歌っていて味がある。
作詞 水木れいじ 作曲 徳久広司 歌 中条きよし
つれて逃げれば ろくでなし 捨てて旅だちゃ 人でなし
ふたり死んでも 花はなし 思いきる気は さらになし
あゝ・・・どのみち 男の人生は 絵にはならない
ヨーホホイ ダンチョネ子守歌
芍薬 季節の花300より