syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 264 私の隣に吉田兼好が二人いる(徒然草6)

 私の隣に吉田兼好が二人いる。
 一人は同級生で、もう一人は身内である。


 二人ともに共通しているところは、高学歴でおまけに背が高くイケメンで、働かなくても一生食っていける財産家である。
 二人ともに既に亡くなっているので彼らの供養を兼ねて人柄をしのんでみたい。


 同級生の彼は、京都の一流国立大学を出て英語の教師をしていた。英語とドイツ語が喋れてスポーツマンでそれだけで生徒たちに人気があるだろうと思っては大違いである。


 生徒たちから総スカンで全く人気がなかった。


 よく彼を観察してみるとその原因が分る。その一つは小さなことまで批判的な眼で生徒を観る。お友達集団が好きで馬の合う人としか仲良くできない傾向があった。その上内向的で一人遊び的に読書に打ち込む。


 身内の彼は地元の国立大学を出て小学校の教員をしていた。同級生の彼と同じような性格傾向や優秀な能力を持っていた。
 特に達筆な文章が得意で仲間内のラブレターの代筆まで豆に引き受けていた。


 彼の一番の問題点は、自分大好き人間的な傾向がある。自分が第一で最終的にはそこに落ち着く。コンプレックスを持つような点はなにもないように見受けるがこればかりは本人でなければ分からない、
 しいて、現代風に言えばマザーコンプレックスがあったのかも。


 そんな彼らであったが、私にとっては最高の友達であった。


 徒然草を読むと自然に彼らのことが偲ばれる。ありがとう。


『・・・かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるがまわりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか。』(第11段)


 (人それぞれに生活があるのだから、官職のお坊ちゃんには分からい事情があります
  よ。)


『おなじ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに・・・』(第12段)


 (馬の合う人と話し合うことはそれだけで本当に楽しいよね。だけど官吏としてはそれでは務まらんよなあ。)


『ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰
むわざなる。』(第13段)


(ひとり灯下のもとで古典を読み昔の人と友になる。すばらしい。)


 徒然草を読むと懐かしい人を偲ぶことができて楽しい。今日は二人の友を思い出した。さて、ゆっくりと読み進めていくことにしよう。


      

×

非ログインユーザーとして返信する