卒寿小論 346 イケメンタレント兼好の謎
鎌倉時代を代表するイケメンタレント兼好法師の謎
兼好の出生と没年の記録がない。何故だ。
代々神祇官あるいは太政官として奉仕した家系で、祖父、父、兄二人ともに官職四等官の第二の次官(すけ)まで上り詰めた。
兼好は蔵人(くらうど)・左兵衛佐(さひょうえのすけ)4等官第三の判官(じょう)で終わっている。
兼好の誕生も没年も正確な記録がないということに、何か記録に残せない事情があったのでは、そんな思いで徒然草二百四十三段を読み進めている。面白い。
歌を詠み、楽器を奏で、文章を書き、達筆の書道。性格は明るく情に深く、文章の端々ににじみ出るいい男、同僚や先輩の恋文の代筆も気軽に引き受ける才覚。
まさに鎌倉時代を代表するイケメンタレントの№1であろうと思う。
繊細な兼好法師の一面 第十九段 折節(おりふし)のうつりかわるこそ
季節の移りかわるのがおもむきがると。
「もののあわれは秋こそまされ」と、人は言うが私は春の様子が秋よりも一段と心が浮き立つ。さらに、「梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあわれも、人の恋しさもまされ」と夏も良しと。
そして「冬枯の気色こそ秋にはをさをさおとるまじけれ。」
秋もよいが、春はまた一段とよい。さらに初夏から茂っていく真夏もおもむきがある。また、冬枯れの様子も秋に負けていない。
結論として、兼好は「折にふれば、何かはあわれならざらん」
その時々に何であろうと興趣のないものがあろうか。と、すべてに心を動かしている。
鳥の声、春の日差し、草木の若芽、かすみ、桜の花、花橘、梅の香、山吹、藤野花。
あやめ、早苗、水鶏、夕顔、篝火、六月祓い。七夕、雁、萩の下葉、わさだ刈、野分の朝。
霜の朝、散り敷く紅葉、遣水の煙、年の暮れ、新春の準備。などなど
春夏秋冬の変わりゆく姿として具体例を列挙して、季節の移り変わりの情趣を捕えている。
兼好法師のきめ細やかな心を読み取りながら、鎌倉時代のイケメンタレントの生きざまにふれてみよう。