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余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 349 教育勅語の復活を願う人たち

 高学歴で富裕層、社会のリーダーシップを取るような人たちの中に「教育勅語の復活」を願う人たちがかなりの人数いるようです。


 自民党政治家、御用学者、忖度官僚、大学教授や評論家等々。さすがに野党の政治家には見当たりません。


 彼らは十分に「教育勅語」の意味や意義を理解した上での活動ですから、それはそれで結構かと思います。


 「教育勅語」とは、明治憲法に基づく天皇主権の勅語(天皇が臣下である民に命じた言葉)で、現在の日本国憲法の主権が国民にある時代とは全く異なる時代の命令です。


「朕惟おもフニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇はじムルコト宏遠ニ徳ヲ樹たツルコト深厚ナリ」


 原文の最初から、「朕惟フニ」を私と置き換えたところから大きな間違いをしています。
 「朕」は天皇しか使えない言葉を「私」と置き換えたことの問題。次に「我カ皇祖皇宗」、つまり天皇家の祖先が国を作ったということを国民が協力して作ったと言い換えています。


 最初の一行を読んだだけで、国民のためのものではなく天皇のための臣下に対する命令でしかないということが理解できる。


 だから、「教育勅語」復活は、天皇主権の明治憲法に帰ることを意味しています。
 教育勅語の基本のところから理解していかないと教育勅語の本当の意味や意義はわかりません。
 御用学者や忖度政治家をはじめ多くの人たちが、100年先の日本の在り方を視野に入れて切磋琢磨している姿を垣間見ることができます。


 思想信条の自由の日本国憲法のもと「教育勅語」復活や憲法改正で明治憲法に帰ることを望むのも自由であります。
 はっきりと天皇主権を掲げている集団もあります。それも自由です。


 戦前の教育はよかった。戦後の教育が日本をだめにした。戦前の日本の教育をよみがえらせようと言っている人もいます。


 もう少し丁寧に「戦前の教育」と「戦後の教育」を比較検討していかないと何が問題なのかはっきりしません。


 戦争に走った戦前の教育、労働運動(日教組)が活発になった戦後の教育を当時の政治とのかかわりで検証していかないと何が問題なのか。わかりません。


      


    

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