syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 358 教育を観る二つの視点

 一つは、教育を提供する側からの視点、もう一つは、教育を受ける側からの視点。


 これまでは、教育を提供する側からの情報が多くあった。いわゆる文科省からの教育行政に関する情報。教育法規を初め教育基本法、教科書の検定、教科書の採択、全国学力調査、共通一次テストなど。


 教育を受ける側からの情報は皆無に近い。特に組合活動や社会党の衰退と時を同じくして教育を受ける側からの声が国民に届かなくなった。


 コロナ、少子化、AI, 裏金問題、いじめ、自殺、万引き、窃盗、強盗、殺人等の問題がニュースなっている現在、教育を受ける側からの積極的な発言が重要になってきた。


 今、現に教育を受ける側の先頭にいる児童生徒や保護者、提供側なのか受ける側なのか中途半端な立場にいる学校現場の教職員。校長を初め教職員は提供側であると同時に受け手側でもある。


 中立的な立場で確りとした教育に対する提言をしなければならない。


 また、過去に教育を受けてきた大人たちもこれからの子育てに寄与するための発言を多いにしてもらいたいものである。


 教育を受ける側からの発言は、学習活動に対しての意見からが良い。日常の学習で問題に感じたこと、教科のこと、行事のこと、生徒指導のこと、進路指導のことなど問題を発見する場は山ほどある。


 発言の方法もいろんな方法がある。


 中途半端な立場に置かれている教職員も自分の専門分野らの視点でレポートして欲しいものである。


 さらに中途半端な立場に置かれた管理職は、教職員の自由な発言ができる場を提供し、積極的に教育に対する問題を観る目を養ってほしい。


 せめて1年の締めくくりに各教職員からのレポートをまとめ、いつでも閲覧できるような環境を備えることも有効である。


 そのレポートの中からいじめ問題や不登校の対策が具体化されたり、英語授業の何が問題であるのか、国語の作文教育の新しい方法、文学作品の抱える問題を捕えたりと具体的な打つ手を編み出していくことができる。


 今、教育関係者に覇気を感じないし教育を受ける側もあきらめムードで無関心状態になっているような雰囲気である。


 さて、この時代で何をどうすれば、世の中の流れを変えるのであろうか。
            そこが問題である。


           

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