syougoのブログ

余命ゼロ年代を生きるために

卒寿小論 357 コロナ禍で分かった多くの無駄

 一口に無駄と言っても必要な無駄もある。


 車のハンドルには少しの遊びがあり、その遊びがないと重大な事故を起こすことがあるという。
 人生において省けない無駄なことを「遊び」と言っておこう。


 今回のコロナ禍で多くの無駄を発見した。特に教育にかかわる切り捨ててよい無駄を多く見つけた。


 新しい時代の教育の姿を見せてくれた。画一的なロボットのような人間の育成から、個性ある人間を育てる教育の方法や内容を考えさせられた。


 義務教育費だけで年間、税金を10数兆円使っている。高校教育や大学教育を合わせると20数兆円を超えるであろう。
 教育の方法や教育の内容に無駄が多く特に義務教育の内容は思い切って削減し整理するときに来ている。
 教育の方法も画一的な方法やペーパーテスト中心から個性を育てる教育に脱皮していかなければならない。


 AIやロボットに任せる分野はそれに任せ、人間でなければできない仕事に切り替えていく必要がある。


 いま日本の教育は世界の国から相当遅れているようだ。その一つが「理工系大学」に教育投資をしなかったことによるらしい。


  田原総一朗と鈴木寛の対談より
『理工系大学への人材投資は、一人年間320万円、文科系は80万円です』
 日本の遅れは必要な人材投資に金を使わなかったことにあったのか。


 画一的に知識を詰め込んでも新しいものを作り出していく能力は育たない。「想像と創造」力で新しい世界に切り込んでいく若者を育てる教育が望まれる。


 義務教育から、高校・大学教育までその内容と方法を改革する必要がある。


 これは到底無理な話である。教育産業で飯を食っている人たちはこの改革を嫌うであろう。教育産業から多くの献金をもらっているいわゆる教育族議員も改革に立ちはだかるだろう。


 裏金や派閥問題さえ改革できない今の政治には教育改革への期待はできない。


 では何が教育の改革を推し進めるのであろうか。


 それは国民である。これから国民が無駄を省いていくと教育も変わらざるを得なくなる。ましてや少子、高齢化が進めば必然的に変わっていく。


 あえて言えば、政治権力が大学入試の方法を変えれば、高校を初め義務教育も一度に変わってしまうことは間違いない。(できない相談)


 個性を育てる教育の方法は、松下村塾や咸宜園の塾教育が参考になる。
ペーパーテストは基本だけにして、「対話」「問答」「熟議」を重視した教育活動の推進が個性ある若者を育てる。


    個性ある若者は怖い。しかし、個性ある若者が日本を活気づける。
    令和維新は起こらないであろう。100年かかるか。

       

    

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